西郷隆盛が『言志四録』から101条を抜き出して座右の銘とした「南州手抄言志録」から、私たちにも参考になりそうな言葉を探しています。その5回目は前回に引き続き四巻目にあたる『言志耋録』から探していきます。
コロナ禍によって、私たちの生活、ビジネスは大きく変わりました。その中には、終息後も元には戻らない可能性のある大きな変化も含まれているようです。仕事のやり方、組織のあり方、今後の投資の方向性なども、すべて見直しが進んでいることでしょう。
世界的な変革という意味では、現在起きていることは人類史上でも大きな節目となる転換期なのかもしれません。ガラリと変わってしまうこともあれば、数年、数十年後に変化を実感できることもあるでしょう。予言者でなくとも、それぐらいのことは多くの人が感じているに違いありません。人の思いはいずれ社会を変えていきます。
佐藤一斎の亡くなった安政6年(1859年)は、横浜港が正式に開港した年です。江戸幕府の大老井伊直弼らが日米修好通商条約に調印したことによって起こる安政の大獄(尊王攘夷派などを弾圧)。そして翌年には 桜田門外の変によって井伊直弼が暗殺されます。一方で万延元年遣米使節が送られるなど、着々と国際化、そして江戸時代の終焉へと向かっていきました。
西郷隆盛は、薩摩藩主の島津斉彬が50歳で病によって急逝(1858年)、自らその遺志を継ぐ決意をします。ですが、その後はご存じのように、捕らえられ徳之島・沖永良部島遠流となります。1864年に復帰し長州征伐、薩長同盟へと大仕事を成し遂げます。
その時代の人々の思いは、どのようなものだったでしょうか。そしてその思いは、世の中をどう変えていったでしょうか。ふと、そんなことを考えてしまうのです。
このようないわば節目に立ち会えていることは、私たちにとってはある意味の苦ですが、同時に貴重な体験であり、自らもこの変化に積極的に関わっていく姿勢も求められることでしょう。
胸次清快(きょうじせいかい)なれば、則ち人事の百艱(かん)も亦疎せず。 (『言志耋録』76 胸中清快なれば百事阻せず)
●胸の内のクリアさ
胸の内に濁りがなくクリアなら、世の中で起きているどんな困難にもしっかりと立ち向かえる。
外で起きていることなので、どうしても心は浮ついてしまい外へ外へと行きがちなのですが、外で起きることに対処する前に胸の内をクリアにしておくべきだと佐藤一斎は言うのです。
恐らく、心の中で、はっきりと意味付けされていない自分自身の思いが、世の中で起きている事態に反応して言動として表出していくので、きちんと対応するためには、まず自分の心の中をクリアにせよ、ということでしょう。自分がどんな思いを持って生きているのか。それを明確にできてはじめて、正しい対応へとつながるのです。
自身の胸の内を今一度、確認するのに役立つ言葉を紹介しましょう。
遊惰(ゆうだ)を認めて以て寛裕(かんゆう)と為すこと勿れ。厳刻(げんこく)を認めて以て直諒(ちょくりょう)と為すこと勿れ。私欲を認めて以て志願と為すこと勿れ。 (『言志耋録』210 にせものを誤るな)
●本質を見よう
慌てず騒がず心が広い人だと見えたとしても、もしかすればただ遊び怠けているだけかもしれない。何事にも厳格さを求める人だと見えたからといって、必ずしも正直な人とは限らない。一本筋の通った生き方をしているように見えても、必ずしも志を持っているとは限らない。ただの私利私欲かもしれないのだ。
コロナ禍でさまざまな意見が飛び交うSNSなどを見るにつけ、表向きに見えている言動と、その人が持っている本質は必ずしも一致していないのではないかと感じることが増えていませんか。あの人がなぜあんなことを言うのか。こんな意見を言うあの人は、どうしてこのような行動をとったのか。表に出ている部分だけでは、わからないのです。
かといって、誰を信じるか、なにを本当だと認めるのかは、明確な線引きのできないことですし、揺れ動くのも仕方がないことでしょう。ただ、そういう側面もあることを承知の上で自らも行動していくことになるのです。
智仁勇(ちじんゆう)は、人皆謂う「大徳にして企て難し」と、然れども凡そ邑宰(ゆうさい)たる者は、固(も)と親民(しんみん)の職たり。其の奸慝(かんとく)を察し、孤寡(こか)を矜(あわれ)み、強梗(きょうこう)を折(くじ)く。即ち是れ三徳の実事なり。宜しく能く実迹(じっせき)に就きて以て之れを試むれば、可なり。 (『言志耋録』267 智仁勇は実事に試むべき)
●すべて備える人とは?
智も仁も勇も備えた人になれるだろうか。多くの人は「それは難しい」という。しかし、リーダーとして、人々と常に接することこそ本来の職務なのだとすれば、隠された悪事を調べて正していくための智、不幸な人や不遇な人を憐れむ仁、悪をくじく勇気は必要だ。智仁勇の三徳とはそういうことなのだから、自分のできる範囲で少しでも実行に移していければ、それが三徳を備えた人へとつながっていくのだ。
いっきになにもかも最高レベルの人になるのは難しいかもしれませんが、ムリだからと諦める必要はありません。日々の行動で少しずつ発揮していけばいいのです。初めからすべてが備わった人などいないのですから。
毀誉得喪(きよとくそう)は、真に是れ人生の雲霧なり。人をして昏迷せしむ。此の雲霧を一掃すれば、則ち天青く日白し。 (『言志耋録』216 毀誉四則その四)
●悪口、名誉、成功、失敗
悪口、名誉、成功、失敗は人生にかかった雲や霧と思えばいい。雲や霧が晴れず人の心を暗くし、迷わせることもある。心の雲霧をさっぱりと一掃すれば、空は青く太陽は輝き、人生は明るさに満ちていく。
心の内側を観察してみると、人の言葉や、他人からどう見られているのかが気になって、もやもやしてしまうこともあるでしょう。気が晴れないのは、そうした余計なことに気を取られているからかもしれません。
名誉は追わず、悪口は受け流し、成功も失敗も結果と割り切って、自分の進むべき道を行くことで心は晴れやかになっていくのです。
とはいえ、苦しい仕事、苦しい状況が続く中ではなかなか前を向けないこともあるはず。そんなときは、どうすればいいのでしょうか?
朝にして食わざれば、則ち昼にして饑(う)え、少にして学ばざれば、則ち壮にして惑う。饑うる者は猶お忍ぶ可し。惑う者は奈何(いかん)ともす可からず。 (『言志耋録』140 少にして学ばざれば、壮にして惑う)
●混乱の原因
朝食を抜いたら昼にはお腹がすく。それと同じで、少年時代に学びが足りなければ、壮年になってから判断などで混乱しやすくなる。空腹はある程度我慢できたとしても、リーダーが決断すべきときに混乱していてはどうにもならない。
いまから少年時代に戻って勉強し直すことはできませんが、「どうもおかしい」と気付いたら、それは識見や知識の欠落かもしれません。自分に欠けていたとしても、識見を持つ人、知識のある人に意見を求めて、混乱から脱するのもいい方法でしょう。
人は須(すべか)らく忙裏(ぼうり)に閒(かん)を占め、苦中に楽を存する工夫を著(つ)くべし。 (『言志耋録』113 忙中の閑、苦中の楽)
●苦しいときにも楽しみを持つ
忙しくて落ち着かないときにも、静かな時と同じような心の穏やかさが必要だ。苦しい状況に陥っているときも、楽しめる工夫が必要だ。
これはかなり難しいのですが、おそらく経験によって養えるのではないでしょうか。過去に似たような事態に直面したことはないでしょうか。受験とかスポーツの試合など、なんでもいいのですが、忙しすぎたときを思いだして、心を落ち着かせ、苦しいときのことを思い出して、それでも楽しいと思えるタフネスを取り戻しましょう。
凡そ人事を区処(くしょ)するには、当(まさ)に先ず其の結局の処を慮(おもんばか)って、而る後に手を下すべし。楫(かじ)無きの舟は行(や)ること勿(なか)れ。的(まと)無きの箭(や)は発(はな)つこと勿れ。 (『言志耋録』114 仕事のやり方二則その一)
●仕事のやり方
仕事に取りかかるとき、それがどのようなフィニッシュを迎えるのかよく考えて手をつけること。舵の壊れた船や、的外れの矢にならないようにスタートしたい。
これも簡単ではありません。見通しというか、落とし所を見極めてから手をつけても遅くはないのです。どうなるかわからない中で進むより、目標を見据えて行動した方がいい結果に結びつきやすいでしょう。
ちなみに、西郷は選んでいませんが、仕事のやり方のその二は「ゆっくり取り組めることこそ早くやってしまえ。急ぐことこそ、ゆっくりやれ」といった意味の言葉でした。
少しは心に晴れ間が見えてきたでしょうか。次回から2021年をよりよい年にするために、これまで紹介していない佐藤一斎の言葉から紹介していく予定です。
※漢文、読み下し文の引用、番号と見出しは『言志四録』(全四巻、講談社学術文庫、川上正光訳注)に準拠しています。
文:舛本哲郎(ライター・行政書士)