総合ビジネス経済紙「フジサンケイビジネスアイ」が6月30日の発行をもって休刊することになった。リニューアル前の「日本工業新聞」時代を含めて60年余りの歴史を閉じる。その源流をたどれば、戦前にさかのぼり、現在の産経新聞の始祖にあたる。
産経新聞社は3月15日、子会社の日本工業新聞社が発行するフジサンケイビジネスアイの休刊を発表した。同紙は月曜〜金曜発行で、月ぎめ購読料は4320円(税込み)。
フジサンケイビジネスアイは1958(昭和33)年1月、産業専門紙「日本工業新聞」として創刊し、2004年に改題して現在にいたる。製造業を中心とする紙面から、経済全般をカバーするビジネス紙に衣替えし、判型も日本の新聞の標準的なサイズのブランケット判からタブロイド判に変更した。
前身の「日本工業新聞」は森喜朗元首相(前東京五輪・パラリンピック組織委員会会長)が早大卒業後、記者として活躍したことでも知られる。
フジサンケイビジネスアイとしての再出発にあたっては、経済界の一部に「日経」対抗軸としての期待が寄せられたが、スクープを連発する日経に太刀打ちできず、部数を思うように伸ばすことはできなかった。これに追い打ちをかけたのがネットメディアの拡大だ。
新聞の発行元は今も昔も日本工業新聞社で変わらないが、内実は大きく異なる。実は、旧・日本工業新聞社の事実上のスポンサーは経済界だった。窮地に陥った際に出資を仰いでいたのだ。2004年のフジサンケイビジネスアイへのリニューアルに合わせ、産経新聞社が経済界の出資を引き取り、100%子会社化した(その後、同名の現在の日本工業新聞社を新設)。
何といっても興味深いのは「日本工業新聞」が産経新聞のルーツである点だ。戦前、日本工業新聞が大阪で創刊されたのは1933(昭和8)年。戦時下、1942年には新聞統合によって日本工業新聞を中心に西日本地区の経済紙が集結し、「産業経済新聞」(現産経新聞)が誕生した。
産経は戦後、一般紙にカジを切り、東京に進出した。高度経済成長期のただ中、1958年に産業専門紙を創刊する際、復活させたのがいったん姿を消していた日本工業新聞の題字だった。こうした経緯から、産経新聞の創立年を1933年に、フジサンケイビジネスアイの創立年を1958年としてきた。
戦時中、東日本地区の経済紙は中外商業新報(日本経済新聞の前身)を中心に日刊工業新聞(現在に続く)、経済時事新報などが統合して「日本産業経済新聞」が発足した。この日本産業経済新聞は戦後、日本経済新聞として再出発した。
日刊工業新聞は1915(大正4)年にその前身がスタートしており、100年を超える歴史を持つ産業専門紙の最古参。一方、日経本紙を補完する産業専門紙として「日経産業新聞」が創刊されたのは1973年10月のこと。
日刊工業新聞、日本工業新聞、日経産業をひと括りとし、昭和40年代後半から平成の中頃にかけて「産業3紙」あるいは「工業3紙」という呼び方が習わしとなった。その一角が崩れることになったのが日本工業新聞のフジサンケイビジネスアイへのリニューアルだった。
7月1日以降は産経新聞に「フジサンケイビジネスアイ面」を新設し、ビジネスアイが力を入れてきた中小企業や業界情報を手厚く報じるとしているが、あくまで弥縫策にほかならない。インターネット全盛で苦境に立つ新聞界にあって、その一隅を照らす明かりがまた一つ消える。
文:M&A Online編集部