IPOを目指すスタートアップの成長を加速するM&A活用術と留意点|EY新日本 IPOグループ統括 藤原選氏に聞く(前編)

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近年、スタートアップが上場前にM&Aを活用し、事業を多角化・拡大してIPOを目指すケースが増えている。なぜM&Aが増えているのか、スタートアップがM&Aを活用する際の留意点とは何か、EY新日本有限責任監査法人で企業成長サポートセンターIPOグループ統括シニアパートナーを務める藤原選氏(公認会計士)に聞いた。

IPOを目指すスタートアップにとってM&Aは将来に向けた成長の手段

―なぜ、IPOを目指すスタートアップによるM&Aが増えているのでしょうか。

IPOを目指すスタートアップにとってM&Aは、第一義的には、将来に向けた重要な成長手段といえます。その最たる理由は、大半のスタートアップが単一事業に頼った経営をしていることに起因します。単一事業に依存したビジネスモデルは時流の影響を受けやすく、いつ市場がシュリンクするかわかりません。そのリスクを回避して成長を続けるには、短期間で事業の多角化あるいは新規事業の開発が不可欠です。しかし、スタートアップはリソースが少ないので、自社で新規事業開発することは困難です。そのような課題を認識すると同時に、近年では調達金額も大きくなったためエクイティで調達した資金をM&A目的にも使える環境も相俟って、IPO前に事業の多角化や次の種まきのためにM&Aを活用するスタートアップが増えているのです。

―スタートアップはコア事業を尖らせることが本筋であり、多角化やコア事業以外の買収は、VCから成長への迷いと見られてしまうことはありませんか。

私はIPOを目指すスタートアップのM&Aには、2つの流れがあると考えています。1つは、コア事業の上流あるいは下流へ領域を広げるパターン、もう1つは周辺領域へ事業を広げるパターンです。そのような本業を生かした事業戦略上も一貫性のあるM&Aであれば、IPO時のエクイティストーリーやIPO後の成長戦略を語るうえで非常に有効であり、比較的リスクも少なく、既存事業とのシナジー効果も期待できるのでVCからも反対されないはずです。

ー近年のスタートアップによるM&Aのトレンドは。

スタートアップが新規事業開発やR&D目的でシード・アーリーステージのスタートアップ企業を対象とするM&Aのみならず、最近ではアクハイヤーを目的とするM&Aも増えているように感じます。これはアクワイヤー(買収)とハイヤー(雇用)を組み合わせた造語で人材獲得目的の買収を意味します。スタートアップの課題はリソース不足ですから、特にエンジニアなどの人材不足領域でアクハイヤーは多数の有能な人材の獲得が出来るため、成長に向けた重要な一手となります。

ファンドのパフォーマンス向上と優先株式による投資の一般化でVCもM&Aに前向き

VCは投資先がM&Aでエグジットすることを望まないのではないでしょうか。

必ずしもそうとはいえません。米国のようにエグジットの9割近くがM&Aになるとはいいませんが、投資先のスタートアップがM&Aでエグジットして、ファンドのパフォーマンスが向上することに異議を唱えることは少ないと思います。

特に近年、ミドル・レイターステージに海外の機関投資家やPEファンドが続々参入し、特にユニコーン候補の多額の資金調達に対応するため、ファンドサイズを大型化する必要に迫られてきています。ワンショットで20億、30億円の資金拠出をするには、例えば300億、500億円またはそれ以上のサイズの、より大規模なファンドが必要になります。そのためにはファンドの投資実績を上げていく必要がありますが、国内のIPOは年間100件に届かない程度なので、IPOだけで実績を上げ続けることはできません。IPOが難しいならばM&Aも活用して投資パフォーマンスを向上して実績を示すことで次のファンド組成の際にサイズ拡大をしようとする誘因があると思います。

―M&AはIPOと比べてリターンが小さいですよね。

IPOであれば、例えばPER20倍の公開価額ベース時価総額50〜60億円でデビューするスタートアップも、M&AではEBITDA倍率が5倍と仮定すると17~20億円程度であり、上場がまだまだ先の赤字局面ならば10億円に満たない数億円程度になることもありえます。一般論でいえば、IPOの方がリターンは大きいですが、それでも今後のVCはM&Aの活用が活発化すると思います。その理由は、VCによる投資の多くが優先株式(※1)で行われていることにもあります。

普通株式の場合、M&Aでエグジットすると創業者との株式の持分割合でリターンを分配するため不利ですが、みなし清算条項(※2)を付した優先株式ならば、みなし清算条項を発動すれば優先的な分配を受けられ、VCが損するリスクはほとんどありません。要は、VCがリスクをコントロールできる環境が整ってきたということです。

これは派生論点になりますが、優先株式は日本の会計基準では資本計上されますが、国際財務報告基準(IFRS)の場合、一定の条件に当てはまる場合、負債となることもあるので注意が必要です。複雑で難しい論点なので詳細は割愛しますが、IFRSを適用する場合に優先株式で資金調達する場合には、必ずIFRS専門家に相談することをお勧めします。

スタートアップがM&Aで失敗する最大の理由は“見立ての甘さ”

スタートアップが成長戦略としてM&Aを活用する際の留意点は。

自社の規模を超えた買収は、失敗するとIPOどころか企業の存続にも関わるので留意しなければなりません。私の経験則でいうと、スタートアップがM&Aで失敗する理由の大半は、見立ての甘さです。ビジネスデューデリジェンスやM&Aの実行プロセス、M&A後のシナジーなどの見立てが甘いということです。なぜ買収するのか、どういうシナジーを発揮できるのか、なぜ相手は売却するのか、買収価格がいくらまでならペイするのか、こういった分析の解像度が甘いと、最終的には買収価格の見立てが甘くなり、M&A後の事業計画も予定通りにいかず、買収時に計上される「のれん」を減損するリスクも高まります。

監査法人の立場からは、IPOを目指す場合には法務・会計・税務・労務など経営管理面の多面的な検討も重要だと指摘したいですね。その見極めが甘いと、PMI(M&A後の経営統合プロセス)も上手く行かず、IPO自体も頓挫あるいは延期になるリスクが高いからです。

―どうすれば、適切な見立てができるのでしょうか。

まずは企業体力に見合うレベルでトライ&エラーをして場数を踏むことは有用だと思います。短い期間でも構わないので複数回、経験を積めば知見が蓄えられ、どこに落とし穴があるかわかり、統合後にバリューアップし成長戦略に繋げられるようになると思います。

特に買収前に実施するビジネスを含むデューデリジェンス(買収調査)の精度を上げることは重要で、デューデリジェンスが甘いため、買収前に策定する事業計画(その前提含む。以下同様)と買収後に策定する事業計画が大きく乖離して結果的に失敗に終わるケースは実務上よく見られます。

また、M&Aに失敗している企業はクロージングまでにより多くの時間と工数を割いてしまう傾向がある一方、M&A巧者はクロージングまでよりも、その後のPMIにより重きを置いてしっかりとプランを実行している傾向があります。そもそも、カルチャー・組織風土などのソフト面や経営管理体制などのハード面が異なる企業が一緒になるということは当然PMIが最重要であることは考えてみれば明らかなことだとは思いますが、M&Aという「イベント」の瞬間のみに目を奪われるケースはままあるので注意が必要です。

<用語解説>

※1)優先株式:種類株式の一種であり、普通株式に比べて優先的地位を持っている株式のこと。VC投資の際には、剰余金の配当や残余財産の分配を普通株式より優先して受ける株式設計にすることが多い。

※2)みなし清算条項:発行会社にM&Aが生じた際に当該企業を清算したものとみなして、優先的に財産分配を特定の投資家に行うことを規定した条項。「みなし清算条項」が投資契約等で定められている場合、M&Aで得られた対価につき、みなし清算条項の適用を受ける株主は他の株主より優先的な財産分配を受けられる。

企画:ストライク 企業情報部