正月の風物詩といえる「箱根駅伝」。2022年の第98回大会(1月2~3日)では青山学院大学が2年ぶり6度目の総合優勝に輝いた。その駅伝、今や「EKIDEN」として日本語のまま海外で通じるほどだが、ルーツをたどると…。
「駅伝の歴史ここに始まる」。こう刻まれた記念碑が東京・上野公園の不忍池のほとりに建つ。散策に訪れた際、目がくぎ付けになった。
時は1917(大正6)年4月、京都から東京への遷都50周年を記念する「東海道駅伝徒歩競争」がスタートを京都・三条大橋、ゴールを上野公園として行われたとあるではないか。駅伝界で今をときめく青学大の創立(1949年)に30年以上も先立つ。
走行距離は実に516キロメートル・23区間。東西4チームが参加したが、3日間、昼夜をわかたずに走り継いだというから驚きだ。
箱根駅伝が始まったのはその3年後の1920年で、日本におけるマラソンの父とされる金栗四三らの尽力で実現した。この辺の経緯は箱根駅伝公式サイトに詳しく説明されている。
第1回大会には早大、慶大、明治大、東京高等師範(現筑波大)の4校が出場し、金栗の母校でもあった東京高師が優勝した。金栗は日本が1912年にストックホルム五輪に初参加した時のマラソン代表で、2019年のNHK大河ドラマ「いだてん」の主人公の一人として記憶に新しい。
箱根駅伝の正式名称は「東京箱根間往復大学駅伝競走」。関東学生陸上競技連盟が主催し、読売新聞社が共催。東京・大手町の読売新聞東京本社前~箱根・芦ノ湖間の往復217.1キロメートル(10区間)を、合計21大学(うち1チームは関東学生連合)が競う。
歴代トップの優勝を誇るのは中央大14回。以下、早大13回、日本大12回、順天堂大11回、日本体育大10回が2ケタで続く。とくに第91回(2015年)以降は青学大が8大会中、6大会を制し、黄金期を築いている。
戦時中と戦後の混乱期に5度の中断を経験している箱根駅伝だが、2年後にいよいよ100回大会の節目を迎える。その頃はコロナ禍を気にせず、沿道で思いっきり声援できることを願うばかりだ。
文:M&A Online編集部