バスコ・ダ・ガマのインド航路発見など「大航海時代」での100年以上に及ぶ試行錯誤の蓄積を踏まえ、「より継続的に」「出資者のリスクを限定しつつ」「はるか遠くの植民地を効果的に統治(ガバナンス)して」「イギリスの株主が植民地からの利益のすべてを独占」するために精緻化され制度化されていった仕組み。それが株式会社の原始的形態であり、初期の東インド会社だ。現代の株式会社制度の骨格となる多くの概念がここで作られていった。

東インド会社が、現在の株式会社の骨格を作った。

ざっと挙げてみよう。

 出資者の出資額に応じた議決権
一株1議決権に通じる基本概念。支配力(議決権)が資金力(出資額)に比例する仕組みが確立された。
 所有と経営の分離
遠く離れた植民地をイギリスの株主が直接経営することはそもそも不可能だった。雇われ経営者を派遣して、現地の使用人(その一部は奴隷)の労働力を投入して経営させ、その成果を報告させ、モニタリングする仕組みが精緻化されていった。所有と経営は段階的に分離していったのではない。最初から高度に分離していたと考えるのが自然だ。
 継続企業の公準
「1回の航海ごとの分配・清算」から、「継続的に運営する」仕組みへと段階的に発展した。
 有限責任制度
出資者の責任は出資額を上限として限定し、債権者の権利を制約した。
定款の役割
株主が定款で定めた範囲内で、雇われ経営者に裁量を与える。新規事業を勝手にやってはいけない。
 複式簿記による会計報告と監査
14世紀から発達してきた複式簿記が精緻化され、報告/モニタリングツールとして制度化されていった。出資者から専任された監査人による帳簿監査は、のちの職業会計士監査につながる。

株式会社はイノベーションの「あと」に生まれた

ここで重要なのは、これら株式会社の骨格となる制度はイノベーションが起きた「あと」に生まれたということだ。「香辛料の流通革命」はエンジェル投資という形のプロジェクトファイアンスが繰り返し行われ、小さなピボット(戦略・戦術の失敗と成功)を繰り返す中で精緻化されていった。それに「株式会社を活用した植民地経営による富の独占」という再現性が加わって、テンプレート化による横展開可能なビジネスモデルが「東インド会社」という形で結実したのである。

このスキームをより効果的、より大規模に発展させていくために制度化されていった仕組みが「株式会社」である。株式会社がイノベーションを生んだのではなく、イノベーションの成功が株式会社を生んだのだ。この因果関係は極めて重要だ。

東インド会社はその後の長い期間に渡り、人類史上最高の成功を実現した。東インドで確立した植民地経営を世界中に展開し、莫大な利益を得たのだ。このことからも株式会社が「すでに価値が証明された」ビジネスモデルを加速させる装置として有効だったことは間違いない。しかし、株式会社自体がイノベーションを生んだわけではない。イノベーションが生まれた後に、その果実を効率的に最大化したのが株式会社という仕組みであり、東インド会社が世界で初めて実現したことだ。