一神教と疫病とコーポレートファイナンスⅤ | 間違いだらけのコーポレートガバナンス(16)

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前回のコラムでは、原始キリスト教の宣教のため欧州に渡ったイエスの使徒たちと、離散して欧州に渡ったユダヤ教徒たちの、それぞれの足跡を辿(たど)った。

では、スペインにやってきたユダヤ教徒たちは、どのようにして経済的に自立し、定住していったのか。そして、どのような経緯で金融の発展に関わっていくことになるのか。今回から本題となるユダヤ教徒と企業金融(コーポレートファイナンス)の歴史について触れていきたい。

ユダヤ陰謀論は史上最悪のフェイクニュース 

ここで最初に明確にしておきたいことがある。それは本稿が「金融とユダヤ教徒」という極めて繊細なテーマにおいて、巷(ちまた)に溢(あふ)れるおかしな「ユダヤ陰謀論」をはっきりと否定する立場だということだ。

例えば「ロスチャイルド家が世界を牛耳った」とか、「ユダヤ教徒がフリーメーソンを支配し、そこから世界の金融機関を牛耳っている」など。荒唐無稽で完全に間違った「ユダヤ陰謀論」は枚挙にいとまがない。

さらに踏み込んでいうならば、そのようなフェイクニュースが現代にいたるまで一部で真剣に信じ込まれている背景を歴史に遡(さかのぼ)ると、中世欧州におけるキリスト教徒によるユダヤ教徒弾圧のはっきりとした足跡がある。そしてフェイクニュースを増殖させた加速器のひとつが、本稿のもう一つのテーマである「疫病(ペスト)」だった。それが本稿の立場だ。

ウイルスは集団において一定の割合が感染すると、それ以上広がらなくなる(集団免疫の獲得)。しかし、フェイクニュースはその逆だ。集団の一定割合が感染すると、それがそのまま集団における「真実」となって現実世界を動かしてしまう。これがフェイクニュースの恐ろしさだ。

残念ながら日本でも、いまだにおかしな「ユダヤ陰謀論」は蔓延(まんえん)している。それは収まるどころか、ネットという新たな加速器の登場でさらに感染力を増しているようにさえ思える。本稿で扱っているテーマは極めて繊細だ。筆者の拙い言語能力では意図が正確に伝わらず、思いがけず荒唐無稽な「ユダヤ陰謀論」の拡散に加担してしまうことを強く懸念している。あえて最初に立場を明確にしておきたい。

プロフェッショナル、それがユダヤ人の生きる道

本題に戻ろう。ディアスポラを契機にスペインに渡ったユダヤ教徒たち。彼らはやがてその地に定住し、経済的な自立を果たしていく。スファラディユダヤ人たちは、3~4世紀ころにはスペインの地で確固たる経済基盤を築いていたとされる。あるものは医者として、あるものは法律家として、あるものは職人として、確かな地歩を築いていった。

移民としてイベリア半島に定住した彼らにとって、生きる道とは手に職をつけることだった。プロフェッショナルになる。それこそがユダヤ教徒の生きる道だった。

特に重要な三大プロフェッショナルは、「律法学者(ラビ)」「医者」「弁護士」だろう。律法学者はユダヤ教社会の生活規範と行動様式を定める重要なリーダーで、共同体が進む方向性を見定める羅針盤となった。医者や弁護士は、より現実的な問題を解決するために必要不可欠だった。

「Professional」の語源はラテン語の「professus」であり、これはもともと神に対して告白、宣誓した人や神の託宣(預言)を受けた人を指す。転じて高い倫理観と専門能力を併せ持つ職業専門家を指すようになったとされる。「プロフェッショナル」それが土地を持たず、当時の主力産業である農業を主業とすることが難しかった離散ユダヤ教徒の生存戦略だったのだ。

この3大プロフェッショナルを中心に、ユダヤ教社会では他のコミュニティより比較的早く専門家集団が形成されていったと考えられる。革職人、靴職人、仕立て屋、鍛冶屋、金銀細工師、大工、染色工など。様々な職人集団が長い時間をかけてユダヤ教徒社会で形成されていく。

貿易に携わる起業家集団、貿易商人グループの発達

こうした専門家集団の中でも歴史に特に重要な役割を果たしたと考えられるのが、「航海専門家」たちだ。離散したユダヤ教徒たちは必然的に「移動する」ことについて、専門的技能を蓄積していった。特に遠距離移動には、海上移動手段が必要となる。造船技術や操船技術、天文学(正確な位置の測定)、海図・地図の作成、天候予測など、航海に関する重要な技術が蓄積されていった。

この優れた航海専門家たちの中から、貿易に携わる起業家(貿易商人)になる人々がでてきたと考えられる。他の共同体の人々より移動機会が多く、複数拠点に集団を持つユダヤ教徒たちは、同じ物の値段が地域により違うこと(価格差)や、価値を効率的に保存する方法(貨幣の役割)について、そして情報の非対称性がもたらす価値などについて、より敏感だったと考えられる。このような専門家集団の力を背景に、ユダヤ教徒たちは貿易事業で成功していく。

もちろんすべての貿易がユダヤ教徒の手によるものであるはずはない。特に地中海貿易は紀元前の数千年も前から、時々の覇権国家により盛んに行われていた。ギリシャやローマによる地中海貿易は有名だ。圧倒的マイノリティであるユダヤ教徒の市場シェアは決して大きくなかったと思われる。

しかし、離散ユダヤ教徒たちは蓄積した航海技術やネットワークを通じて入手した上質な情報により、貿易活動で効果的に成果を上げることができたと考えられる。彼らがこうした活動の中で蓄積した航海のテクノロジ―は、ローマやギリシャの技術と相まって「海のモビリティ革命」を起こし、やがて大航海時代へとつながっていく。

貿易の成功と金融業への進出

このような貿易プロフェッショナルとして活動していく中で、彼らは金融業においても存在感を示すようになる。この経緯に関しては、あくまで推察の域をでない。しかし、貿易量の拡大に伴って、在庫投資は大きくなり、在庫回転期間も長くなったことは容易に推察される。

そのため、運転資金の調達や運用は重要な問題となったはずだ。船団を増やすのであれば、造船資金の調達など長期固定のファイナンスを考える必要がある。ファイナンスの道理からすれば、これはかなり事実に近い推察といって差し支えないだろう。

貿易を成功させていく中で、ユダヤ教徒の貿易商人たちは、こうした金融ノウハウを蓄積していったと考えられる。例えば為替手形の発明には、ユダヤ教徒の貿易商人たちが深く関与していたようだ。(出所:「ユダヤ人、世界と貨幣」 ジャック・アタリ著)

さらに貿易を通じて他教徒を含む多種多様なビジネスマンと関わることで、彼らは融資のリスク(債権の回収可能性)をより正確に判断し得る情報や判断材料も蓄積していったはずだ。この航海ルートは妥当か。船団の操船能力は高いか。その商品は売れるか。値付けは正しいか。精度の高いデューデリジェンス(目利き)ができる能力が自然と磨かれていったと考えられる。

蓄積されたノウハウと元手となる資本、そして目利き能力。貿易を通じてこれらを得ることで、ユダヤ教徒の商人たちは、持続可能な金融業を営むことができるようになっていったのではないだろうか。 

現代のIT長者のサクセスストーリーとの既視感

現代では、プログラミングに長けたエンジニアの若者がフリーランスのプロフェッショナルとして独立する。その中の一部は、より野心的で経営センスもあり、IT起業家となる。やがてIPO株式公開)やM&Aによるイグジット(企業売却)でまとまった資金を得ると、それを元手にエンジェル投資家になっていく。

そんな現代のシンデレラストーリーと本質的には同じことが、はるか昔に離散ユダヤ教徒の集団の中で実現されていったのではないか。筆者はそのように考えている。ディアスポラの民は、金融家である前に優れた起業家であり、なによりも前に先ず優れたプロフェッショナル(専門家)だったのだ。

(この稿つづく)

参考文献
「スペインのユダヤ人」 関哲行著
「ユダヤ人 世界と貨幣」 ジャック・アタリ著
「反ユダヤ主義の歴史」 レオン・ポリアコフ著
「ユダヤ人の頭の中」 アンドリュー・J・サタ―著
「ユダヤ人と経済生活」 ヴェルナー・ゾンバルト著
「キリスト教から読み解ける世界史」 内藤博文著

文:西澤 龍(イグナイトキャピタルパートナーズ 代表取締役)