今年の「除夜の鐘」はここで聴け! 年越しを迎えたい寺院3選

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除夜の鐘はどこで聞く?

超大型M&Aに有名経営者の電撃逮捕、年の瀬の株価暴落…波乱の1年だった2018年も明日で終わり。仕事で疲れたココロの垢(あか)は、今年のうちにきれいに落としておきたい。そのための年中行事と言えば「除夜の鐘」。人間の煩悩の数といわれる108回の鐘を、年内に107回、年明けに1回つくのが一般的な作法という(寺院によっては例外もある)。除夜の鐘を聞きながら来る年を清々しい気持ちで迎えるために、1年の締めくくりの場にふさわしい東京都内の名刹3寺院を紹介する。

深大寺…天平から1300年の歴史、参拝後は名物「そば」で決まり

深大寺(東京都調布市)は関東屈指の天台宗の古刹として名高い。奈良時代の天平5年(733)に、満功上人が開山したと伝えられ、1300年の歴史を誇る。元々、法相宗の寺院としてスタートしたが、平安時代に天台宗に改宗し、今日にいたる。正月三が日は例年、約20万人の初詣参拝者で賑わう。

最寄りの京王線調布駅からバスで15分ほど。木々に覆われ、緑豊かな武蔵野の面影が残る界隈は気持ちが和む。寺の周りには名物の深大寺そばの店が20店以上軒を並べ、これを目当てに参拝に訪れる人も多い。梅が見どころを迎える3月3~4日には日本三大だるま市の一つ「深大寺だるま市」が開かれ、人がどっと繰り出す。

深大寺の名は水神「深沙大王」に由来する。この地は豊富な泉水が湧きだし、古来、人々の水神信仰を集めてきた。境内には今も複数の湧水源がある。

江戸時代の2度の大火で建物の多くを失ったが、そのたびに再興を遂げてきた。現在の本堂は炎上から50年後の大正11年(1922)に再建されている。被災を免れ、深大寺で最も古い建物は山門。切妻の茅葺屋根が印象的で、元禄8年(1695)につくられた。江戸建築の傑作の一つという。

国宝の白鳳仏(銅造釈迦如来像)を安置するのは山門を入って左手奥にある釈迦堂。像高83.9センチメートルで、7世紀から8世紀初頭の飛鳥時代の作品とされる。重要文化財の旧梵鐘とともに、ガラス越しに拝むことができる。通常拝観料は300円だが、1月1日から2月3日の期間、拝観料は任意で納める扱い。

名物「深大寺そば」に舌鼓を

深大寺そばでおなかを満たしたら、散策にもってこいなのが隣接する都立神代植物公園。約49万平方メートルの広大な敷地に約4800種類のさまざまな花や緑を楽しむことができる。入園料は大人500円。1月1日は休園だが、2日から開園する。ちなみに、そのエリアはかつて深大寺の旧寺領だった。

深大寺を中心にその周辺には1日中、飽きないスポットが満載。2019年の開運をアクティブに祈願したい人におすすめしたい。

深大寺公式HPはこちら https://www.jindaiji.or.jp/

築地本願寺…インド様式の石造り 本堂内にはパイプオルガンも

2018年10月6日に83年の営業を終え、豊洲に移転した卸売市場・築地市場のすぐそばにあるのが築地本願寺(東京都中央区)。京都西本願寺の東京別院で、1617年に浅草横山町に坊舎が建立されたが、明暦の大火をきっかけに、築地に移転した。

移転に際しては、佃島の門徒が中心になり、本堂再建のために海を埋め立てて土地を築いたことから「築地」という地名になったという。

その後1923年に、関東大震災による火災で本堂が焼失し、現在の本堂は1934年に再建された。本堂の建物はインド様式の石造りで、日本のお寺のイメージとは大きく異なる。

本堂内にはステンドグラスやシャンデリア、パイプオルガンなどがある。毎月最終金曜日の12時20分から30分間パイプオルガンを用いたランチタイムコンサートがあるなど、異色づくめだ。

パイプオルガンのコンサートはクラシックや仏教讃歌の演奏を中心に行われる。聴講は無料。除夜の鐘も無料で一般の参拝者がつくことができる。

本堂後部に設置されたパイプオルガン

所在地は東京メトロ日比谷線築地駅出口すぐで、交通の便は非常にいい。広々とした本堂前の広場はゆったりとした気分にさせてくれる。

築地市場は移転したものの築地場外市場は健在のため観光客は多く、付近は相変わらずの賑わいだ。

除夜の鐘と場外市場の組み合わせは鉄板だろう。

築地本願寺の公式HPはこちら http://tsukijihongwanji.jp/

円通寺…西郷どん率いる新政府軍の弾痕が生々しい「黒門」は必見

2018年を代表する男といえば、「西郷(せご)どん」こと西郷隆盛。今年は彼の生誕190年で、明治150年の節目にも当たっていた。明治維新の立役者として根強い国民的な人気があり、NHK大河ドラマ「西郷どん」も放送された。その西郷どんゆかりの寺院が、円通寺(東京都荒川区)だ。

とはいえ、西郷どんの墓があるわけではない。むしろその逆で、増上寺(東京都港区)と並ぶ徳川家の菩提寺だった旧寛永寺(東京都台東区)に立てこもり、慶応4(1868)年5月15日に西郷どん率いる新政府軍と戦った「彰義隊」に従軍した旧幕臣たちの墓がある寺だ。

彰義隊士の遺体は戦場に放置されていたため、円通寺の23世大禅佛磨大和尚が戦場となった旧寛永寺の境内に出向いて供養した。その途中で新政府軍に拘束されたものの、事情を知った新政府から彰義隊士の埋葬を認められる。

横浜港貿易で巨富を得た神田の雑貨商・三河屋幸三郎の支援を受け、彰義隊士266人の遺体は後に西郷隆盛像が建立される場所で荼毘に付され、遺骨は円通寺に埋葬された。円通寺は明治の初めに唯一「賊軍」とされた旧幕臣の法要が公然とできる寺として、生き残った旧幕臣たちの信仰を集めたという。

今も黒門に生々しく残る新政府軍の弾痕

円通寺の見どころは境内に移設された旧寛永寺の黒門。この付近は最も激しい戦闘があった場所で、西郷が指揮する新政府軍の放った弾痕が現在も生々しく残っている。

江戸そして東京で行われた唯一の地上市街戦の記憶を残す史跡であり、除夜の鐘を聞きながら平和のありがたさにもかみしめたい。

最寄り駅の東京メトロ・日比谷線三ノ輪駅から徒歩5分。都電荒川線三ノ輪駅からも近い。

円通寺公式HPはこちら http://www6.plala.or.jp/entsuji/

文:M&A Online編集部