野球の本場・米国。最高峰の大リーグでプレーする日本人選手も今では後を絶たない。“舶来品”の野球が日本で始まったのはいつなのだろうか。答えは都内の意外な場所にあった。
千代田区神田錦町3丁目、白山通りに面して、ひときわ品格と歴史を感じさせる建物がある。1928(昭和3)年に完成した学士会館だ。皇居内濠からも程近い敷地の一角に、野球のボールを握る手をかたどった記念碑が建つ。碑名には「日本野球発祥の地」と刻まれている。
実は、学士会館があるこの場所は「東京大学発祥の地」でもあるのだ。しかし、野球と東大がどう結びつくのか、疑問がふつふつ沸いてくるに違いない。
東大は1877(明治10)年、当地にあった東京開成学校が東京医学校を合併して創立された。前身の東京開成学校が1872年の学制施行当初、第一大学区第一番中学と呼ばれていたころに、来日した米国人教師のホーレス・ウィルソン(1843~1927)が授業のかたわら生徒たちに、日本に初めて野球を伝えたとされる。1873年には新校舎とともに野球場が整備された。
今日、野球は日本の国民的スポーツに発展を遂げているが、その種をまいたホーレス・ウィルソンの野球殿堂入りを祝して2003年に建立されたのがボールを握る右手の記念碑だ。ブロンズ製で、高さ約2.4メートル。ボールには世界地図が描かれ、日本と米国を縫い目でつないでいる。
学士会館は旧帝国大学出身者で構成する「学士会」会員のために建設された倶楽部施設。2003年に国の有形文化財に登録された。1926年完成の旧館、1937年完成の新館からなり、宿泊、レストラン、会議室、結婚式場などを完備する。旧帝大とは現在の北海道大、東北大、東大、名古屋大、京都大、大阪大、九州大の7校を指すが、今では一般利用も可能だ。
当の東大は1885年までに本郷(文京区)に移転するが、「東京大学発祥の地」の記念碑(1991年に建立)は旧館正面玄関脇にある。
学士会館でもう一つ忘れてはならないのは同志社大学の創始者、新島襄の生誕の地であること。近くにあった上州(群馬県)安中藩江戸屋敷内で生まれたといい、生誕100年の記念碑が1941年につくられた。3つある記念碑の第1号なのだ。
「日本野球発祥の地」といい、それぞれの碑文に目を通せば、新たな発見があるかもしれない。ビジネス街の大手町から昼休みに歩いていける距離にあり、昭和の雰囲気を味わいながらランチが楽しめる。
文:M&A Online編集部