大阪で挫折した「都構想」、一方で東京にも「都解体」の動きが…

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2020年11月1日、「地方自治体のM&A」といえる「大阪都構想」が住民投票で否決された。大阪府と大阪市の「二重行政」を回避するため2度の住民投票を実施したが、住民は特別区への移行よりも都道府県とほぼ同格の政令指定市の維持を選んだ。

かつての東京府でも「都構想」は一度頓挫した

当面は唯一の特別区となることが確定した東京23区だが、実はここでも「特別区」から「市」への移行を目指す動きがある。かつての東京都は大阪府や京都府と同じ「東京府」で、1889年に都心15区が統合して「東京市」となった。

「大阪都構想」が政党から持ち上がったのに対し、「東京都構想」は戦時体制に入りつつあった1938年に政府が首都の政治・経済の統制強化のために発案する。これに東京市が反対を決議し、一度は取り下げられた。

しかし、戦況が厳しくなった1943年1月に政府の「東京都制案」が帝国議会で可決され、同7月に東京府と東京市が廃止。「東京都」が置かれ、旧東京市は35の特別区に分割された。「戦時体制」で誕生した特別区は、戦後も生き残る。「大阪都構想」では「特別区の権限は村以下になる」との反対意見があったが間違いではない。

戦後まもなくは市町村長と同様に特別区の区長も住民の選挙で選ばれたが、1952年に区議会が都知事の同意を得て区長を選ぶ区長選任制が導入され、区長選挙は廃止。23区の住民は市町村長選挙に当たる首長の選挙権を失った。全特別区で区長選挙が再開されるのは、高度成長期終了後の1975年になってからだ。

2000年の地方自治体改正でようやく東京23区は「基礎的自治体」に昇格したが、現在も市町村のような「普通地方公共団体」とは違う「特別地方公共団体」だ。特に税制での権限が制約され、一般に市町村が徴収する都民税の市町村民税法人相当分や、固定資産税、特別土地保有税、事業所税、都市計画税は都が徴収し、区に分配している。

財政上の裁量権が特別区最大の不満

これを不服として東京23区で特別区を廃止する「市構想」の動きが起こった。ただ、かつての「東京市」ではなく、23区がそれぞれ独立した市となる構想だ。「日本の中枢」といわれる千代田区は、2001年10月に発表した「第3次長期総合計画」で「平成30(2018)年に千代田市として独立する」市構想を発表した。

千代田区が市ならば約2600億円(当時)あるはずの固定資産税などの税収が、都から分配されるのは1%にも満たない22億円にすぎないとの不満からだ。当時は千代田区の人口が市の要件となる5万人に満たなかったことや、最も豊かな財源を持つ千代田区が抜けることで財政不安が生じかねないとして東京都や残る22区が反対したことも棚上げとなった。

大企業の本社が集中する千代田区の税収は莫大だが、都からの配分はわずか(同区ホームページより)

だが、千代田区の人口が6万6000人と市の要件を満たしたことから、現在も区内では「千代田市構想」がくすぶっている。市制の区割りや財源問題などで意見が割れる特別区長会でも「戦時体制として作られ帝都体制の骨格を引きずってきた都区制度は、もはや時代遅れというほかはない。『都の区』の制度から離脱することが必要である」と、特別区の解体と市制への移行では一致している。

「特別区は面積が狭く、人口が集中する大都市の特殊性を考慮し、全住民が等しく行政サービスを受けられるようできた制度。一区だけ独立して市を目指すことは現実的でない」というのが、東京都のスタンスだ。

人口が約94万人の世田谷区も、政令指定都市への移行をほのめかしている。政令指定都市になれる人口を擁しながら、同じ東京都内で人口が180人にも満たない青ヶ島村よりも行政権限が小さいことに不満を感じるのも無理からぬところだ。

東京都としては事実上の直轄地である23区が市として独立することは、都人口の約7割に当たる約970万人の住民が「流出」することにほかならない。「大阪都構想」が住民投票で否決され、「特別区」への移行に「ノー」が突きつけられたことで、くすぶってきた都内23特別区の「市制移行」の動きに神経をとがらすことになりそうだ。

文:M&A Online編集部