【旭化成】ダボハゼから選択と集中、EVへと「進化するM&A」

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旭化成<3407>が自動車分野への攻勢を強めている。その戦略の要となるのがM&Aだ。2018年7月19日に自動車内装材大手の米セージ・オートモーティブ・インテリアズ(サウスカロライナ州)を7億ドル(約791億円)で買収すると発表した。だが、旭化成がM&Aに取り組んだのは、これが初めてではない。

旭化成の歴史は「M&Aの歴史」

初のM&Aは1933年のこと。以来、節目節目でM&Aによる事業拡大に取り組んできた。旭化成の歴史は「M&Aの歴史」と言っても過言ではない。

旭化成の前身である旭絹織が発足したのは1922年。日本窒素肥料(現・チッソ)が滋賀県に設立した再生繊維のレーヨン製造会社だった。1931年に宮崎県延岡市でアンモニアや硝酸などの化成品製造・販売する延岡アンモニア絹絲が日本窒素肥料から分離・独立する。

1933年には、この延岡アンモニア絹絲がビスコース・レーヨン糸を手がける旭絹織、独J・P・ベンベルク社が開発したキュプラ糸「ベンベルグ」を製造・販売する日本ベンベルグ絹絲を合併し、社名を旭ベンベルグ絹絲に改称した。

ベンベルグは銅アンモニアレーヨン生地で吸放湿性に優れ、一般的なレーヨン (ビスコースレーヨン) に比べて耐久力や耐摩耗性などに優れている。さらに天然素材であるため、土に埋めると短期で自然分解されるというメリットがあった。

ただ、生産過程での銅やアンモニアの処理が技術的に難しいため海外メーカーは相次いで撤退したが、旭ベンベルグ絹絲は銅などの再利用技術を確立し、世界唯一のベンベルグ製造メーカーとなる。ベンベルグは優れた服飾素材として、ヒット商品になった。

ベンベルグ
戦前から現在まで製造が続く「ベンベルグ」(同社ホームページより)

財閥解体で独立、経営多角化を加速

1943年に旭ベンベルグ絹絲が、ダイナマイトを製造・販売する日本窒素火薬を合併し、日窒化学工業に社名変更。国内15大財閥の一つ「日窒コンツェルン」の一員として事業を展開していた。だが、敗戦に伴う財閥解体で日窒コンツェルンは消滅。日窒化学工業は社名を「旭化成工業」に変更して再スタートを切る。

戦後も外国企業との合弁は続き、米ダウ・ケミカル社との合弁事業に乗り出した。1952年に川崎市に旭ダウを設立。旭ダウは1957年にポリスチレンの製造を開始し、合成樹脂事業へ進出する。1960年にはダウ・ケミカルが開発した食品保存用のラップ樹脂フィルム「サランラップ」を発売。樹脂製品事業にも参入した。

サランラップ
ダウ・ケミカルとの合弁で発売したベストセラー商品の「サランラップ」(旭化成ホームプロダクツホームページより)

1961年に宮崎輝氏が旭化成工業社長に就任すると、新規市場開拓が加速する。「ダボハゼ経営」と呼ばれた経営多角化の始まりだ。1967年に千葉県松戸市で独自開発した軽量気泡コンクリートの「へーベル」の量産を始め、建材事業に進出した。翌1968年には岡山県倉敷市の水島地区で山陽石油化学を設立し、石油化学事業に本格進出する。1971年に旭シュエーベルを設立し、ガラス繊維織物事業へ進出した。

1970年代以降は素材をベースに、より高い付加価値をつけた「川下」分野の製品づくりにも乗り出す。1972年に子会社の旭化成ホームズを設立し、「ヘーベルハウス」のブランド名で住宅事業へも参入した。1974年には旭メディカル(現・旭化成メディカル)を設立して人工腎臓の生産を始め、医療機器事業へ進出する。

「ダボハゼ」から「選択と集中」のM&Aへ

1980年代に入るとエレクトロニクス事業にも足がかりをつけた。1980年に宮崎電子(現・旭化成電子)設立、磁気センサーなどで利用されるホール素子事業へ進出。1983年には旭マイクロシステム(現・旭化成エレクトロニクス)を設立、LSI事業にも乗り出す。

旭化成エレクトロニクスが開発した高精度アブソリュート磁気式回転角度センサー(旭化成エレクトロニクスホームページより)

1992年には東洋醸造を買収して酒類事業へ進出すると同時に、同社の研究開発成果を引き継いでバイオ医薬・医療事業を強化した。しかし、同年に長期ワンマン経営で陣頭指揮を執ってきた宮崎会長が亡くなると、多角化展開は一段落する。バブル崩壊後の景気低迷が長引いたのを受けて、M&A戦略も従来の「事業の拡大」から「選択と集中」へと方向転換した。

2000年に新日鐵化学の欧米コンパウンド樹脂生産子会社を譲り受けて欧米における生産拠点を確保する一方、2002年に焼酎および低アルコール飲料事業をアサヒビールとニッカウヰスキーへ、2003年には清酒・合成酒関連事業をオエノンホールディングスへ、それぞれ譲渡している。

グループ内再編も進めた。同年に分社・持株会社制へ移行し、持株会社と7つの事業会社(旭化成ケミカルズ、旭化成ホームズ、旭化成ファーマ、旭化成せんい、旭化成エレクトロニクス、旭化成建材株、旭化成ライフ&リビング)で構成するグループ経営体制へ移行。

2007年に旭化成ケミカルズが旭化成ライフ&リビングを吸収合併する一方で、2008年に旭化成クラレメディカル、旭化成メディカル、2009年には旭化成イーマテリアルズを相次いで設立するなど、事業のスクラップ&ビルドにも取り組んだ。2010年代に入っても、2012年に旭化成メディカルに旭化成クラレメディカルを統合すると同時に、米国ゾール・メディカル社を買収して連結子会社化するなど、事業の「選択と集中」は進む。

車載用電池に社運をかける

そして2015年2月、旭化成の社運をかけたM&Aが断行される。車載用リチウムイオン電池の主要部材であるセパレーター(絶縁材)大手の米ポリポア・インターナショナルの買収に合意したのだ。取得額は22億ドル(約2600億円=当時)。旭化成としては過去最大の買収案件である。

自動車業界ではハイブリッド車(HV)や、HVよりも大容量の電池を搭載して電気モーターでの走行距離を伸ばすプラグインハイブリッド車(PHV)、電気自動車(EV)へのシフトが加速しており、電池の機能向上に対するニーズが高まっていた。

ポリポアの買収発表までは「旭化成は車載用リチウムイオン電池用部材の受注に慎重」との見方が広がっていたが、そうした「下馬評」を見事にひっくり返す。ポリポアは車載用のセパレーターに強く、米テスラ・モーターズに電池を供給するパナソニック<6752>とも共同開発に取り組んでおり、車載用電池関連の特許も多い。

もともと旭化成は高容量化に有利だが製造コストが高い、湿式セパレーター技術を持っていた。容量は低いながら低コストで生産できる、乾式セパレーターのノウハウを持つポリポアの買収で「湿式と乾式の両方に強い唯一のセパレーターメーカーとなる。

旭化成が社運をかけてM&Aしたバッテリーセパレータ(同社ホームページより)

これと併せて同年3月にリチウムイオンキャパシタを手がける旭化成FDKエナジーデバイスを、折半出資するFDKに売却した。リチウムイオンキャパシタはリチウムイオン電池と電気二重層キャパシタの2つの蓄電池を組み合わせたハイブリッドタイプの蓄電デバイス。

大容量のリチウムイオン電池と、瞬時に蓄電可能な電気二重層キャパシタの「いいとこ取り」を狙ったが、リチウムイオン電池の性能向上と低価格化で競争力を失っていた。

旭化成は次世代車載用電池として育てる方針だったリチウムイオンキャパシタに見切りをつけ、リチウムイオン電池の主要部材であるセパレーターにハンドルを切った格好だ。

自動車関連のM&Aを加速か

自動車部門への注力は現在も続いている。最新の買収先であるセージは自動車内装材に用いる各種繊維製品の開発と製造を手がけ、シートファブリック市場では世界トップのシェアを誇る。直近の年間売上高は約535億円。

旭化成はセージを取り込むことにより、成長する自動車市場での事業拡大を加速させる。旭化成はこれまでセージに対してスエード調人工皮革を供給するなど良好な取引関係にあった。

旭化成が持つ繊維製品、樹脂製品、センサー技術と、セージのマーケティング・デザイン力を組み合わせ、車室空間に関する総合的提案力を高める。

自動車用内装材に力を入れるのは、今後予想されるガソリンやディーゼルなどのエンジン(内燃機関)搭載車から、HVやPHV、EVへの「電動車シフト」が起こっても全く影響を受けないからだ。EV化が進むと姿を消すエンジン回りや変速機、燃料系の部品とは対照的で、引き続き需要はある。

自動車市場は先進国はじめ中国などの新興国で成長を続ける見通し。唯一の懸念だった環境問題も電動車シフトにより回避できる見通しが立った。なにより深い取引関係がある日本企業で、国際的な競争力を維持している最終製品は自動車しか残っていない。

事実、旭化成は自動車分野向けの売上高を、2025年度に2015年度の3倍へ引き上げる方針も明らかにした。その手段としてM&Aを利用するという。旭化成が自動車関連事業をターゲットにしたM&Aを仕掛けていくのは確実だ。当面、旭化成のM&Aから目が離せない。

自動車分野での売上増が今後の成長のカギになる(同社ニュースリリースより)

関連年表

旭化成の沿革
 年 出 来 事 
1922 旭絹織を設立
1931 アンモニア、硝酸等化成品を製造販売する延岡アンモニア絹絲設立
1933 延岡アンモニア絹絲が日本ベンベルグ絹絲(キュプラ糸「ベンベルグ」を製造・販売)および旭絹織(ビスコース・レーヨン糸を製造・販売)を合併し、社名を旭ベンベルグ絹絲と改称
1943 旭ベンベルグ絹絲は、日本窒素火薬(ダイナマイト等を製造・販売)を合併し、社名を日窒化学工業と改称
1946 日窒化学工業から旭化成工業へ社名変更
1949 東京、大阪および名古屋の各証券取引所の市場第一部に株式を上場
1952 米国ダウ・ケミカル社と合弁で旭ダウ設立、川崎地区へ進出
1957 旭ダウがポリスチレン製造開始、合成樹脂事業へ進出
1959 富士でアクリル繊維「カシミロン」の本格製造開始、合成繊維事業へ本格展開
1960 「サランラップ」販売開始、樹脂製品事業へ進出
1967 松戸で軽量気泡コンクリート「ヘーベル」の製造開始、建材事業へ本格進出
1968 山陽石油化学設立、水島地区で石油化学事業へ本格進出
1971 旭シュエーベル設立、ガラス繊維織物事業へ進出
1972 水島で山陽エチレン(現・旭化成)による年産35万トンのエチレンセンター完成
  「ヘーベルハウス」本格展開、住宅事業への本格進出
  旭化成ホームズ設立
1974 旭メディカル(現・旭化成メディカル)設立。人工腎臓の生産を始め、医療機器事業へ進出
1976 旭化成テキスタイル設立、テキスタイル事業を強化
  旭化成建材設立
1980 宮崎電子(現・旭化成電子)設立、ホール素子事業へ進出
1982 旭ダウを合併し、合成樹脂事業を強化
1983 旭マイクロシステム(現・旭化成エレクトロニクス)設立、LSI事業へ本格展開
1992 東洋醸造と合併、医薬・医療事業を強化、酒類事業へ進出
1994 旭化成テキスタイルを合併、繊維事業を強化
2000 新日鐵化学より欧米コンパウンド樹脂生産子会社を譲受し、欧米における生産拠点を確保
2001 旭化成工業から、旭化成へ社名変更
2002 焼酎および低アルコール飲料事業をアサヒビールおよびニッカウヰスキーへ譲渡
2003 清酒・合成酒関連事業をオエノンホールディングへ譲渡
  分社・持株会社制へ移行。持株会社と7事業会社(旭化成ケミカルズ、旭化成ホームズ、旭化成ファーマ、旭化成せんい、旭化成エレクトロニクス、旭化成建材、旭化成ライフ&リビング)からなるグループ経営体制へ移行
2007 旭化成ケミカルズが旭化成ライフ&リビングを吸収合併
2008 旭化成クラレメディカル、旭化成メディカルが事業会社としてスタート
2009 旭化成イーマテリアルズ設立
2012 旭化成クラレメディカル、旭化成メディカルを統合 (存続会社名は旭化成メディカル)
  米国ゾール・メディカル社を買収および連結子会社化
2014 グラスファイバーの製造・販売を行うNITTOBO ASCO Glass Fiber Co., Ltdを折半出資する日東紡に売却
2015 バッテリーセパレーター関連の高分子ポリマー膜を手がける米ポリポア・インターナショナル社を買収および連結子会社化
  リチウムイオンキャパシタおよびモジュールのメーカーの旭化成FDKエナジーデバイスを折半出資するFDKに売却
2016 三菱ケミカル旭化成エチレンで、エチレンセンターの共同運営を開始
  旭化成ケミカルズ、旭化成せんい、旭化成イーマテリアルズを、旭化成に吸収合併し、事業持株会社に移行
2018 自動車内装材大手の米セージ・オートモーティブ・インテリアズ(サウスカロライナ州)を買収

文:M&A Online編集部

この記事は企業の有価証券報告書などの公開資料、また各種報道などをもとにまとめています。