【サノヤスHD】祖業の造船を捨て「背水の陣」で臨むM&A戦略

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祖業を切り離して生き残り-中堅造船のサノヤスホールディングス(HD)<7022>は2021年2月28日に100%子会社であるサノヤス造船(大阪市)の全株式を、新来島どっく(東京都千代田区)に譲渡する。

110年の歴史を持つ造船事業

1911(明治44)年に佐野安造船所として創業したサノヤスHDの造船事業は、110年の歴史を閉じることになった。だが、同社は「ポスト造船」をにらみ、バブル経済華やかなりし1990年代から新事業に乗り出していた。その強力な「スクリュー」となったのがM&Aだ。

1985年9月のプラザ合意の結果、1ドル=235円から1年後には150円台と急激な円高が進む。これにより世界最大の造船王国だった日本も、韓国勢の追い上げを受けることになる。円高で国際競争力を失った日本の造船業に、「脱・造船」が喫緊の課題として突きつけられた。

サノヤスは1990年10月に建設用機器製造の菱野金属工業を吸収合併し、陸上事業部門へ本格的に乗り出す。翌1991年4月には遊園地向け遊具機械メーカーの明昌特殊産業を買収し、サノヤスはサノヤス・ヒシノ明昌に社名変更した。

建設機械と遊具機械という陸上機械部門と造船部門の両輪で、サノヤスは生き残りをかける。しかし、21世紀に入ると中国の造船メーカーが台頭。韓国勢との価格競争が激化して、日本の造船メーカーはますます厳しい状況に追い詰められていく。

日本勢は2010年まではシェアを落としながらも新造船建造量を増加させてきたが、その後はシェアを落とし続けている。

世界造船市場の状況(国土交通省ホームページより)

M&Aによる多角化で造船をサポート

こうした状況を受けて、サノヤスは再びM&Aを加速する。M&Aとそれに続くPMI(ポスト・マネジメント・インテグレーション=買収や合併の後に実施する統合プロセス)を円滑に進めるため、2011年10月に持c株会社のサノヤスHDを設立した。

2012年1月には旧サノヤス・ヒシノ明昌の造船・プラント事業をサノヤス造船に、建機部門をサノヤス建機に分社。遊具機械部門だけが残ったサノヤス・ヒシノ明昌をサノヤス・ライド(大阪市)に社名変更した。グループの事業を従来の「造船」「陸上」の2本柱から「造船・プラント」「建機」「遊具機械」の3本柱とし、外部環境の変化に強い体制にした。

買収した金属切削加工を手がける加藤精機と自動車・機械部品製造のケーエス・サノヤスを管理する中間持ち株会社として、2014年12月にサノヤス精密工業(兵庫県三田市)を設立。部品加工・製造ビジネスにも乗り出す。2015年3月には自動車メーカーや大手産業機械メーカーに納入実績のあるブラストマシンメーカーの大鋳を子会社化した。

サノヤスは非造船事業のグループ会社が拡大したことを受け、グループ再編に着手した。2016年4月に商社・サービス部門のサノヤス商事、サノヤス安全警備、サノヤス産業の子会社3社を合併し、サノヤス・ビジネスパートナーに再編する。2017年4月にはサノヤス精密工業が同社子会社だった加藤精機とケーエス・サノヤスを吸収合併し、経営を一体化した。

2019年4月に機械式駐車装置などを手がけるサノヤス・エンジニアリング(大阪市)が大鋳を吸収合併。併せて製缶品・鋼構造物などの売買や警備・清掃サービスを手がけるサノヤス・ビジネスパートナーがIT企業のサノテックと合併し、サノテック(同)に社名変更した。

時には失敗も…

2020年1月には電力関連機器メーカーのハピネスデンキ(東京都大田区。売上高31億1000万円、営業利益1億8500万円、純資産6億7200万円)の全株式を取得して完全子会社化している。

ハピネスデンキは1919年に創業した老舗企業で、動力制御盤や分電盤、配電盤などを手がけ、官公庁や大学、大型ビル、空港などに多数の納入実績を持つ。サノヤスはハピネスを傘下に取り込むことで産業機器事業の強化を図った。

数々のM&Aの中には失敗もあった。2013年10月に買収した豪Melbourne Star Observation Wheel(メルボルン市 )の大観覧車施設とその運営事業だ。 サノヤスはレジャー事業を強化するため、海外展開を検討していた。買収した大観覧車はサノヤスが建設を請け負っており、施設内容をよく把握できていることから、初の海外展開案件として約41億9000万円で取得する。

ところが同事業を買収した子会社のSanoyas Rides Australia Pty Ltd(同)は、現地のレジャー需要の低迷やコロナ禍による休業などの影響で業績が低迷。2021年1月に約2400万円という安値でリヒテンシュタインのVeyron Stiftungに譲渡した。

ついに来た「造船撤退」

そして2020年11月、サノヤスは造船事業から撤退すると発表した。100%子会社のサノヤス造船の全株式を、中堅造船の新来島どっくに譲渡する。譲渡価額は100万円だが、新来島どっくはサノヤス造船の借入金40億円を引き継ぐ。

譲渡予定日は2021年2月28日で、新造船や船舶の修復、船舶用のガスタンクなどを手がける水島製造所(岡山県倉敷市)とガスタンクなどを生産する大阪製造所(大阪市)の2拠点、従業員約600人が新来島どっくへ移る。

サノヤスは戦後開設した水島製造所を造船事業の拠点とし、主力のばら積み船とともに、作業船やフェリーなどの建造、舶用ガスタンク製造、船舶修繕にも力を注いできた。

しかし、水島製造所の操業確保のため製造原価を下回る船価での新造船受注が続き、ここ数年は大幅な赤字決算を余儀なくされていた。

造船事業の20年3月期売上高は299億円で、27億円の営業赤字。直近は新型コロナ感染症拡大に伴う世界景気の低迷で新造船の受注が伸び悩み、受注残は安定操業に必要とされる2年分を下回っている。

世界的に新造船需要の縮小と設備過剰が続く中、単独での生き残りは困難と判断した。赤字事業を切り離し、産業用・建設用機械装置の製造や遊園地施設の建設などの陸上事業に経営資源を集中することにした。

サノヤスの針路、いまだ「波高し」

とはいえ、厳しい状況は続く。サノヤス造船の借入金は帳消しになったとはいえ、譲渡価額はわずか100万円。しかも、駐車場向け装置といった陸上事業も赤字だ。産業機械を中心とする残存事業でも「選択と集中」が迫られるだろう。

これからも不採算子会社の売却や新たな成長の芽となる新規買収などの案件が出てくるに違いない。祖業から決別し、「陸(おか)に上がった」サノヤスのM&Aから目が離せない。

関連年表

1911年4月 - 佐野川谷安太郎氏が佐野安造船所を創業
1940年6月 - 佐野安船渠株式会社を設立
1967年6月 - 大阪証券取引所2部に上場
1974年2月 - 大阪証券取引所1部に指定替え
1984年8月 - サノヤスに社名変更
1990年10月- 建設用機器製造の菱野金属工業を吸収合併
1991年4月- 遊園地向け遊具機械メーカーの明昌特殊産業を買収し、サノヤス・ヒシノ明昌に社名変更
2011年10月 - 株式移転により持ち株会社のサノヤスホールディングスを設立
2012年1月 - 造船・プラント事業をサノヤス造船に、建機部門をサノヤス建機に分社。遊具機械部門だけとなったサノヤス・ヒシノ明昌をサノヤス・ライドに改称
2013年7月 - 大阪証券取引所と東京証券取引所との現物株市場統合に伴い、東京証券取引所1部に指定替え
2014年12月 - 子会社で金属切削加工を手がける加藤精機と自動車・機械部品製造のケーエス・サノヤスを管理する中間持ち株会社としてサノヤス精密工業を設立
2015年3月 - 工作機械の大鋳を子会社化
2015年4月 - サノヤス・ライド(オーストラリア)とメルボルンスターマネジメントが事業統合
2016年4月 - サノヤス商事、サノヤス安全警備、サノヤス産業を合併し、サノヤス・ビジネスパートナーを設立
2017年4月 - サノヤス精密工業が加藤精機とケーエス・サノヤスを合併
2018年4月 - 産業機械関連子会社を統括するサノヤスMTG設立
2019年4月 - 機械式駐車装置などを手がけるサノヤス・エンジニアリングが大鋳と合併。製缶品・鋼構造物などの売買や警備・清掃サービスを手がけるサノヤス・ビジネスパートナーがIT企業のサノテックと合併し、サノテックに社名変更。
2020年1月 - 電力関連機器メーカーのハピネスデンキを子会社化
2021年2月 - サノヤス造船とサノテックの全株式を新来島どっくへ譲渡(予定)

この記事は企業の有価証券報告書などの公開資料、また各種報道などをもとにまとめています。

文:M&A Online編集部