光村印刷<7916>は1901(明治34)年の創業から120年近い歴史を持つ。幾多の時代の荒波をくぐり抜け、中堅印刷会社として確固たるポジションを築いてきたが、“異次元”の生き残り競争に直面して久しい。活字離れやIT化による紙媒体の需要減が続く中で、国内印刷市場はこの20年間で約4割縮小しているからだ。持続的な成長に向けて、どう局面転回を図るのか。
その答えの一つといえるのが9月10日に発表した新村印刷(東京都千代田区)の買収だ。光村印刷は同社の全株式を10月1日付で取得し子会社化する。取得金額は約17億円。
新村印刷は1947年に設立し、商業印刷、包装・パッケージ印刷、証券印刷、出版物・地図を主力とする。とくに包装・パッケージ分野で強みがあり、製薬・ヘルスケア関連を中心に有力取引先を抱える。工場は埼玉県狭山市に持つ。光村印刷は同社を取り込むことで、新分野への進出と既存事業とのシナジー(相乗効果)創出につながると判断した。
光村印刷は書籍・雑誌の出版印刷、ポスターやパンフレットなど広告宣伝物の商業印刷から、新聞印刷、POP印刷、フォーム(帳票、証券類)印刷、小切手・商品券など重要印刷物まで幅広く手がけるが、これまで事業メニューになかったのが商品包装などへのパッケージ印刷。既存事業でも、もともと美術印刷を祖業とする光村に対し、新村は地図で実績を積んでおり、相互補完が期待できる。
新たに光村グループに加わる新村印刷の業績はどうか。2018年5月期は売上高30億円。5年前に40億円を超えていた売上高は3割減り、この間、3度の最終損失を計上するなど不安定な損益状況が続いており、経営立て直しという重い課題を背負うことになる。グループ内で経営資源の最適配置などの事業再編を迫られることになりそうだ。
光村印刷の18年3月期は売上高が5.2%減の164億円、営業利益が54.3%減の2億6400万円。このうち全体の9割を占める印刷事業は部門売上147億円(6.6%減)、部門営業利益1億200万円(78%減)で、新聞、カレンダーなど宣伝用印刷物の落ち込みに加え、競争激化に伴う単価下落が響いた。印刷事業の一環として、WEB制作、電子書籍、電子カタログといったデジタルコンテンツにも力を入れているが、現状はまだ力不足が否めない。
こうした中、第2の経営の柱として位置付けるのがフィルムなど印刷技術をベースとした電子部品製造事業。エレクトロニクス分野向けに精密金属部品やタッチパネル製品を手がけている。
電子部品製造事業の18年3月期の部門売上は9.8%増の13億9000万円と3年連続の増加となった。車載用タッチパネルが横ばいにとどまったが、移動体通信市場の成長に伴い水晶振動子関連冶具が伸びた。ただ、部門営業損益はこの間も赤字続き。赤字幅は縮小してはいるが、それでも前期は1億6200万円の損失を計上した。赤字脱却が先決で、収益源にはほど遠いのが実情だ。
主力製品であるタッチパネルはスマートフォン向けから、車載(カーナビ)用にシフトを進めてきた。しかし、スマホ向け需要の落ち込みが大きいうえ、カーナビ向けもコスト競争が激しく、苦境を強いられている。
一連の赤字を穴埋めするのは不動産事業(太陽光発電事業を含む)。本社ビルのテナント収入が安定的に見込めるほか、2014年には那須工場(栃木県大田原市)の敷地の一部を活用して大規模太陽光発電による売電事業(年間120万キロワット時)に参入した。
浮上への起爆剤として期待するのが新型の車載用静電容量式タッチパネルだ。日本航空電子工業<6807>と共同開発したもので、スマホと同じ操作性を持つ静電容量式タッチパネルで大画面化を実現した。
表示部が大きくなると配線が長くなるため、タッチパネル操作時の応答性が不足するなどの課題があった。両社は、銀粒子を分散させた感光性材料を用いてガラス基板上に配線を直接形成する量産技術を確立し、ネックを克服した。今秋から量産段階に入る計画。大画面化が進む車載用タッチパネルへのニーズを取り込みたい考えだ。
印刷事業で長年柱となっているのが新聞印刷だ。川越工場(埼玉県川越市)で埼玉県と都内一部向けの読売新聞朝夕刊、系列のスポーツ報知などを印刷するほか、子会社の群馬高速オフセット(群馬県藤岡市)も読売印刷工場の一翼を担う。読売新聞とのつながりは1969年の日曜版カラー印刷に始まり、50年に及ぶ。読売新聞グループ本社は光村印刷の第3位(持ち株比率約7%)の大株主でもある。
〇光村印刷の業績推移(単位は億円)
17/3期 | 18/3期 | |
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売上高 | 173 | 164 |
<部門別> | ||
・印刷 | 158 | 147 |
・電子部品製造 | 12.6 | 13.9 |
・不動産ほか | 4.5 | 4.3 |
営業利益 | 5.8 | 2.6 |
光村印刷にとってM&Aは新村印刷のケースが初めてではない。2015年3月、海外ブランドのショッピングバッグの販売を手がける大洲(東京都文京区)を子会社化した。ショッピングバッグの製造を含めて、店頭で使われる各種印刷物を幅広くサービス提案する体制を整えた。印刷事業のすそ野を拡大する狙いだ。
古くは1994年、経営不振に陥っていた老舗印刷会社の細川活版所を吸収合併した。現草加工場(埼玉県草加市)は細川活版所から引き継いだ。以降、川越、草加、那須の3工場体制を維持している。
光村印刷の原点は「美の再現」。創業者、光村利藻の志は美術や芸能、風景といった「美」を再現し、多くの人に感動を与えたいというものだった。1901年に神戸で関西写真製版印刷合資会社を設立し、写真や印刷技術の向上に情熱を注いだ。その3年後、米セントルイスで開かれた万国博覧会に木版画『孔雀明王像』(167×102㎝、摺り度数1300以上)を万国博覧会に出品し、名誉金牌を受賞した。
曲折を経て1918年に東京に場所を移し換え、光村印刷所を開業(1928年光村原色版印刷所に改称)。「美術印刷の光村」として頭角を現した。戦後は1949年、教科書の出版を目的に光村図書出版(東京都品川区)を設立し、現在は関連会社となっている。裏カーボン紙、変造防止小切手といった新技術もいち早く確立した。すでに述べてきた通り、紙の印刷だけでなく、デジタルメディアのコンテンツ制作や電子部品製造への事業領域を広げ、今日にいたる。
今回、新村印刷を傘下に収めることで、光村の売上高は単純合計で194億円となる。2010年3月期(売上高209億円)を最後に遠のいている200億円の大台も視野に入ってくる。電子部品製造事業の収益立て直しはもちろんだが、新村印刷との事業連携を通じて「本業」部分でのシナジーをどう引き出せるのかが復活のカギを握る。
年 | 主な沿革 |
---|---|
1901 | 創業者、光村利藻が神戸に関西写真製版印刷合資を設立 |
1906 | 光村合資会社に改称 |
1918 | 東京・神保町に光村印刷所を開業 |
1928 | 光村原色版印刷所に改称 |
1936 | 個人会社から株式会社に改組 |
1946 | 教科書の出版を目的に光村図書出版を設立 |
1961 | 東証2部上場 |
1967 | 光村印刷を埼玉県川越市に設立 |
1990 | 光村原色版印刷所、光村印刷を合併 |
1991 | 社名変更し、光村印刷とする |
1994 | 細川活版所と合併 |
1996 | 本社ビル(東京・大崎)を完成 |
2002 | 東証1部上場 |
2015 | 印刷物の企画、ショッピングバッグ類販売の大洲(東京・小石川)を子会社化 |
2018 | 印刷業の新村印刷(東京・九段)を子会社化 |
文:M&A Online編集部