日本の公正取引委員会が「お手柄」だ。米アップルが長年にわたって禁止してきた「アプリ外決済への誘導」を認めさせたのだ。ユーザー誘導に乗ってアプリ外決済を選択すれば、アプリサービス提供会社(プロバイダー)は料金に対して大手で30%、中小で15%の手数料をアップルに支払わずに済む。一方、アップルにとっては巨大な収益源となっているアプリ課金プラットフォームの利権を手放すことになる。だがアップルは、さほど困ることはないだろう。
公取委がアップルに認めさせたのは、デジタル版の雑誌や新聞、書籍、音楽、ビデオの購入済みコンテンツやサブスクリプション(サブスク)コンテンツを提供する「リーダーアプリ」の外部課金サイトへの誘導。アプリプロバイダーがユーザーに自社の課金サイトで料金を決済してもらえば、アップルへの手数料分が丸々利益になる。大手プロバイダーの場合、利用料金をアップルのアプリ内課金価格から15%値下げしても、15%の利益増となる計算だ。
もちろん、これまでにも「抜け道」はあった。顧客が誘導なしアプリプロバイダー側の課金サイトで料金を支払ってくれれば、アップルに手数料を支払う必要はない。例えば米アマゾンの音楽・動画配信サブスクサービスの「Amazon Music Unlimited」を自社サイトで決済すれば月額980円(アマゾンプライム会員は同780円または年額7800円)と、アップルのアプリ決済プラットフォーム「App Store」の同1080円よりも安く利用できる。これを知っているユーザーは、アマゾンのサブスクでアップルのアプリ内課金を選択しない。
ただ、こうした回避策が打てるのはアマゾンやオフィスソフトを提供する米マイクロソフトなどの「誰でも知っている」超有名企業だけだ。もちろんそれ以外に自社の課金サイトを持つアプリプロバイダーは多いし、アプリ外決済の方が安いこともユーザーの間ではよく知られている。それではなぜユーザーは割高と知りながらも、超有名企業以外のサービスではアプリ内課金を選ぶのか?
それはアップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ元最高経営責任者(CEO)が「App Store」のモデルとしたという、NTTドコモの「iモード」で提供する「iアプリ」の歴史を振り返れば分かる。実は携帯電話向けのアプリが本格的に流通し始めたのは「iアプリ」やau(KDDI)の「EZアプリ」、ソフトバンクの「S!アプリ」といった通信事業者(キャリア)の課金プラットフォームが登場してから。
そもそも「フューチャーフォン」と呼ばれたガラケーでは、各キャリアのプラットフォームに接続しないとアプリをダウンロードするのが難しかったというハードウエアの制約があった。それにもましてユーザーの「安心感」がある。得体の知らないアプリをダウンロードするのは心配だが、キャリアのプラットフォームであれば事前審査を受けている。個人情報を抜き出すなどの挙動不審なアプリは排除されている可能性が高い。
それよりも重要なのは決済の安全性だ。悪質なサイトで決済すると、クレジットカード情報の流失や不正課金、解約できないなどのトラブルが発生した場合は自己責任で対応するしかない。これは厄介な問題で、とりわけ海外のアプリプロバイダーが相手となるとお手上げだ。しかし、キャリアなどの信頼できる課金プラットフォーム経由の契約ならば、そうしたトラブルはプラットフォーム側で対応してもらえる。だからガラケー利用者も安心してアプリをダウンロードや購入ができるのだ。
ユーザーが「App Store」外でアプリやサブスクサービスを購入するのが「誰でも知っている」超有名企業のサイトに限られるのも、そうした「安心感」が重要な選択肢だから。そうでない企業が提供するアプリサービスは、いくらユーザーを割安な自社サイトへ誘導しても「App Store」での決済が主流のままだろう。
そもそも音楽配信サービスのSpotifyや前出のアマゾン、マイクロソフトなどが提供する「誰でも知っている」人気サブスクサービスは、すでに割安な本家サイトで決済するのが主流になっている。アップルがアプリ外決済への誘導を認めても、「App Store」の機会損失は限定的だろう。
アップルが恐れるとしたら、アプリプロバイダーによる個別課金ではなく、「App Store」に代わる新たな課金プラットフォームサイトの登場だろう。ユーザーには「App Store」同様に課金や契約上のセキュリティーを保証し、アプリプロバイダー向けの手数料を引き下げる新たな課金プラットフォームが誕生すれば、アップルは貴重な収入源を失うことになりかねない。
たとえばスマホ決済サービスの「PayPay」や「楽天ペイ」「d払い」などが、こうした課金プラットフォームとして名乗りをあげる可能性がある。かつて国内キャリアの独壇場だったモバイルアプリ・サービスの課金プラットフォームを「App Store」が奪い去ったが、再び同じことが起こるのかもしれない。
文:M&A Online編集部