「伊藤詩織・はすみとしこ裁判」もし被告敗訴で謝罪を拒否したら

alt

ジャーナリストの伊藤詩織氏が2020年6月8日、自身が性暴力被害を訴えた事件についてツイッターに虚偽の内容を投稿され名誉を傷つけられたとして、漫画家のはすみとしこ氏に対して慰謝料など計550万円の支払いと投稿削除や謝罪などを求めて東京地裁に提訴した。

謝罪判決は「良心の自由」を侵害するか?

訴訟の行方は分からないが、もしも伊藤氏の訴えが認められ、はすみ氏側の敗訴が確定した場合、慰謝料や投稿削除は強制執行できるとして、謝罪についてはどうか?

はすみ氏は同9日に自身のツイッターで「伊藤詩織さんへ。550万円欲しかったら、私が木村花さんの様にならないよう、最新(原文ママ)の注意を払った方がいいんでねぇの?」と投稿するなど、対決姿勢を示している。

仮に敗訴が確定しても、はすみ氏が「絶対に謝罪しない」可能性があるかもしれない。当然、被告が確定した判決に従わなければ、強制執行はありうる。

謝罪の強制執行というと、被告を原告の前に引きずり出して無理やり頭を押さえつけてでも謝らせるようなイメージが思い浮かぶが、被告の人権問題もある上に、そもそもそんなことが「謝罪」に当たるのかとの疑問が生じるのは否めない。

では、確定した謝罪判決を拒否したらどうなるのか?判決で謝罪広告の掲載を求められた被告が「裁判所による謝罪の強制は、日本国憲法第19条で保障された良心の自由の侵害に当たる」として最高裁判所まで争った事例がある。

「謝罪」の強制執行は「思想・良心の自由」を保障する憲法第19条違反か?(国立公文書館デジタルアーカイブより)

「謝罪」は無理でも「謝罪広告」は強制できる

これは衆議院議員選挙での対立候補への名誉毀損事件で敗訴した被告が、判決に盛り込まれた謝罪広告の掲載を「謝罪する気はないのに無理強いさせられるのは不当」として訴えたものだ。

最高裁判決では「謝罪を命じられた同事件被告の人格を無視し、著しくその名誉を毀損し、意思決定の自由ないし良心の自由を不当に制限するような謝罪は強制できない」とした。つまり、被告本人による直接の謝罪は強制執行できないのだ。

しかし、同事件被告が命じられた「真相に相違しており、貴下の名誉を傷つけ御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」という内容の謝罪広告のように「単に事態の真相を告白し陳謝の意を表すに止まる程度」であれば、これを代替執行によって強制しても合憲であるとの判決を下している。(最大判昭和31年7月4日民集10巻7号785頁)

一方で同裁判では「この判決には事物の是非弁別の判断に関する事項の外部への表現を判決で命ずること、あるいは、謝罪・陳謝という倫理的な意思の公表を強制することは、良心の自由を侵害し違憲である」との反対意見もあった。

少なくとも被告を強制的に原告の前に引きずり出して無理やり謝らせるような方法が違憲であるのは明らかで、原告がそうした形での謝罪を求めても裁判では認められないだろう。

伊藤氏が「謝罪」については口頭ではなく謝罪広告という形で求めているのも、この判例を根拠にしているものと考えられる。

つまり、被告の敗訴が確定したにもかかわらず謝罪に応じない場合は、原告側が「私のマンガやツイートは真相に相違しており、原告の名誉を傷つけ御迷惑をおかけいたしました。ここに陳謝の意を表します」という被告名義の謝罪広告を掲載または放送できる。

原告側が発注・掲載した謝罪広告であっても、被告側に広告料を支払う義務が生じるのだ。これが「謝罪」の強制執行となる。

謝罪広告は個人だけでなく、企業間の訴訟で求められるケースも珍しくない。「ウチは悪くないから、判決はどうあれ絶対に謝らない」は、少なくとも法律の世界では通用しないようだ。

文:M&A Online編集部