【現場の声】ナチュラルチーズメーカーのパイオニア、アトリエ・ド・フロマージュトップが語る。業績好調の中大手食品メーカーに譲渡された経緯とは?

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※アトリエ・ド・フロマージュ会長の松岡 容子 氏とチーズ

日本で初めてフロマージュ・フレやブリーチーズを製造したナチュラルチーズメーカーのパイオニアであり、軽井沢や東京などで大人気のレストランも展開するアトリエ・ド・フロマージュ(以下アトリエ)。その本格的なチーズの味は多くのメディアでも取り上げられている。同社のチーズは世界的にも評価が高く、『JAPAN CHEESE AWARD 2014』でグランプリを受賞。さらに、フランスのトゥールで開催された国際ナチュラルチーズコンテスト『モンディアル・デュ・フロマージュ』では最高賞であるスーパーゴールドを受賞した。業績好調の中、2014年に大手食品メーカーへ会社を譲渡された経緯など、お話を伺った。

今後の設備投資や危機対応能力を考え、
経営からの引退とM&Aを決断

創業の経緯を教えてください。

 主人と私は出版社に勤めていましたが、チーズづくりをしたくてそれぞれが退社しました。大学に通ったりフランスに留学したりしてチーズづくりを学んだ後、長野県東御市に小さな工房を建てました。名づけた「アトリエ・ド・フロマージュ」という社名は、フランス語で直訳すると「チーズ工房」という意味です。

 工房は駅から遠く、創業後しばらくは非常に厳しかったです。ただ、本物の味をつくり続けていたおかげで、だんだん口コミでお客様が増えていき、6年目でやっと軌道に乗りました。今もさまざまなメディアで取り上げていただいていますが、実は私たちは広告宣伝を全然行っていないのです。

 今になって振り返ると、こだわりを持ってつくり続けてきた商品や店舗が、自分たちの文化にまでなったのだと思っています。有名な企業経営者にも「アトリエには文化がある」と言われました。フランス大使館やイギリス大使館の方もいらっしゃるし、初めて会う方にも「昔お店に行ったことがある」と言われる。感性の豊かな方々に認められ、広めてもらえる何か……パッと見ても気づかない、こだわりを持って築いてきた文化や本物感があって、今があるのだと思います。

譲渡を検討されるきっかけや経緯は?

 自分が新しい投資にちゅうちょしたときに、「あ、自分は経営者としてふさわしくないな」と思ったタイミングがありました。そこでスパッと経営からの引退を考えたのです。私はそれまで、設備投資や新商品開発に迷ってこなかったんですね。資金を借りて設備投資しても5年で返してきました。でも、私が60歳になって、借入をしたら回収までにまた5年かかりますから、どうしようかとためらってしまったのですね。いろいろな社長がいると思いますが、私自身が投資に逡巡する経営者は失格だと思っていたので、それが大きなきっかけになりました。

 もう一つ、危機対応能力への不安がありました。最近は震災などの災害が増えてきて、万が一以上のリスクを考えなければなりません。病気の主人(前社長)の面倒も見なければなりませんし、従業員も守らなければならない。5年後の自分は、危機に対してベストな対応ができるだろうか、と。ふとそう思ってしまったときに、自分は社長から退くべきだと判断しました。

 ただ、自分たちには子どもがいませんから、後継者はどうしようかと……。経営者は商品開発もして経理も見なければなりません。残念ながら、社内にはそのような人材がいませんでした。

 そんな折にビジネス誌を読んでいて、近所に引っ越してきた方がM&Aで会社を譲渡されて移住されたということを知りました。うちの店にもよく来る方で、「え、あの人が?」というのが率直な感想です。まだM&Aをするか決めていないときに、その方に声をかけさせていただき、いろいろとお話を伺いました。

M&Aはかなりのスピード成約となりました。

 私は何でもやることが早くて、4カ月で決めましょう、年内に決めましょうと、M&Aの専門家の方に伝えました。M&Aの交渉途中は非常にストレスがかかりましたけどね。

 ただ、服部さんもすぐに対応してくれて、かなり早いタイミングで6社から買収意向表明を頂戴しました。その後も意向が出てきましたし、希望通りのスピード感で対応してくれました。M&Aはやると決めたら、早く決められると思います。

M&A後は大手企業の下で複数の企画を実行
6月には軽井沢に新店舗がオープン

お相手の決め手、ポイントは何だったのでしょうか?

 いくつかの要素がありますが、1つ目は経済的な条件です。2つ目は、うちの会社を認めてくれたこと。アトリエの特性や、私たちが一生懸命に考え取り組んできたことをくみ取ってくれまして、それは社長として涙が出るほどうれしかったですね。3つ目は会社の性質が似ていること。アトリエはテレビや雑誌で取り上げられますが、水面下はとても地味です。買収してくれた大手食品メーカーもすごく堅実で地味な印象があって、私はそういう体質がとても好きだったので、そこも共感しました。ただ、買収企業はその堅実すぎる部分を変えたくて、アトリエには自分たちにない文化や本物がある、と高評価を下さったのだと思います。

 今は買収企業が5年計画、10年計画というスパンで考え、東京・南青山の店を改築し、軽井沢に新店舗(軽井沢発地市庭店、2016 年6月オープン)をつくり、1億円を超える新工房を現在の工房横に建築中です。やはり大手企業は、資金だけではなく人材面もそろっているので、新しい企画を3つ一緒にできるのですね。これまでだったら全部自分でやらなければなりませんから、やりたいことの取捨選択をしなければならなかった。大手企業の下だと中小企業の限界を解決できると感じています。

今後の過ごし方について教えてください。

 私もそうですが、病気で先に引退した主人も、会社の不安がないので肩の荷が下りたせいか、「若返ったね」と言われます。今は1年を過ぎて取締役は辞退致しましたが、会長として、創業者としてアトリエをずっと応援していきたいという気持ちでいます。地域の活動にもかかわっていき、NPO法人化を考えています。

本日はありがとうございました。

お話:アトリエ・ド・フロマージュ 会長 松岡 容子 氏
M&A情報誌「SMART」より、2016年7月号の記事を基に再構成
まとめ:M&A Online編集部