お正月は路面電車(トラム)で初詣!今年は地球温暖化で世界中が異常気象に見舞われた。二酸化炭素(CO₂)はじめ温暖化ガス排出を食い止めるためにも、乗用車やバスから路面電車(トラム)へのモーダルシフトが望ましいとされる。加えて国内では高齢化が進み、駅間距離が短く高齢者も乗り降りしやすい低床の路面電車が注目されている。そこで路面電車で参拝できる神社を紹介する。新年の門出に当たり、地球温暖化と高齢化への対応に思いをはせたい。
東京に唯一残る路面電車、都電荒川線(東京さくらトラム)。三ノ輪橋~早稲田(12.2km、30駅)を結び、沿線には昭和の面影を残す東京の風景に続く。ほぼ中間地点にある飛鳥山駅で下車して5分ほど歩くと、お目当ての七社(ななしゃ)神社に着く。
2024年7月に発行される新「1万円札」の顔となる渋沢栄一(1840~1931)。近代ニッポンにおける資本主義の父と呼ばれ、生涯に500余りの企業・団体の設立にかかわった。実は、七社神社はそんな渋沢にゆかりのあるスポットの一つ。
七社神社はその名の通り、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)をはじめ、七柱の神々をまつる。創建は大昔とされるが、江戸時代の火災で古文書・古記録がなくなり、詳しくは分からないという。
七社神社は明治元年(1868年)の神仏分離に伴い、現在地(北区西ヶ原)に遷座した。江戸時代後期に出版された「江戸名所図会」には無量寺の高台(現在の旧古河庭園内)に「七社」として描かれている。明治12年、渋沢栄一は近くに別荘を構え、後にこれを本邸として七社神社の氏子になった。
大正9年には渋沢を筆頭とする諸氏の寄付で社務所が建てられた。本殿や拝殿の建築にも尽力を惜しまず、現在も渋沢が揮毫した社額・掛け軸などの奉納品が納められている。
もちろん、渋沢が関係するお札・お守りも用意されている。「商売繁昌・事業繁栄木札」と「仕事守」に記されている「七社神社」の文字は渋沢が揮毫した社額の書。社業発展やビジネスパーソンの心強い味方になってくれそうだ。
神社にほぼ隣接するのが国立印刷局東京工場。渋沢の肖像が描かれた新1万円もここで作られる。国立印刷局の前身の初代理事長を務めたのが渋沢だっただけに、縁の深さがうかがえる。
渋沢が1万円札の顔になることにちなみ、新年に特に人気を呼びそうなのが「一粒万倍守」というお守り。
中に入っているのは実物の種もみ。一粒の種もみから一本の稲ができ、この稲から万倍の米が収穫できること。つまり、今日始めたことがやがて大きな成果につながることを表す。吉日の一つ、「一粒万倍日」(年間約60日)は開運招福へ縁起の良い日とされる。
七社神社は桜の名所として知られる飛鳥山公園の真隣。小高い公園内には、渋沢の足跡をたどる「渋沢資料館」、日本における洋紙発祥の地(北区王子)にちなんだ「紙の博物館」、地元の歴史を展示する「北区飛鳥山博物館」の3つの博物館があり、大人から子供まで誰でも楽しめる。
アクセスは都電・飛鳥山駅(徒歩5分)のほか、東京メトロ・西ヶ原駅から2分、京浜東北線上中里駅・王子駅から各10分(いずれも徒歩)。
大阪市と堺市を結ぶ阪堺電気軌道(阪堺電車)の住吉鳥居前停留所を降り立つと、住吉大社の樹木と提灯が目に飛び込んでくる。
同大社は、全国に2300ある住吉神社の総本社で、初詣には毎年200万人以上が訪れるという。
その住吉大社のすぐ前の道路を走る阪堺電車は、阪堺線(恵美須町 - 浜寺駅前 14キロメートル)と上町線(天王寺駅前 - 住吉 4.3キロメートル)の2路線を運行しており、住吉鳥居前は阪堺線の中ほどにある。
停留所からほんの数メートル行ったところが参道で、その入り口に立つと、停留所の名称にある鳥居や、住吉大社の象徴とされる反橋(太鼓橋)を見ることができる。
鳥居をくぐり、見た目以上に急な傾斜を持つ太鼓橋を渡れば、樹齢1000年を超える御神木や、多くの文化財が集まるエリアで、緑に囲まれた空間に入ると自ずと厳かな気分になる。
住吉大社の創建は211年で、今から1800年ほど前になる。伊邪那岐命 (いざなぎのみこと)が穢れを清めるために海に入って禊祓 (みそぎはらえ)した際に、海中から出現した底筒男命 (そこつつのおのみこと) 、中筒男命 (なかつつのおのみこと) 、表筒男命 (うわつつのおのみこと) の三神と、神功皇后が祭られている。
3神が海中から出現したことから「海の神」として、航海関係者や漁民の間で信仰があり、奈良時代、遣唐使の派遣の際には、必ず海上の無事を祈ったと言われる。
その後、海上輸運送船業の関係者の間にも信仰が広がり、現在境内にある約600基の石燈籠の多くは運送船業の関係者から奉納されたものという。
また、古くから「農耕の神」としても知られており、当時は農耕が代表的な産業だったことから、「産業の神」としてもあがめられてきた。このため現在は農業関係者のほか、商業や工業の関係者からの信仰もある。
阪堺電車は南海電気鉄道の子会社で、本社は住吉鳥居前駅から3駅堺市寄りの我孫子道駅近くにある。
阪堺線は1910年に設立された旧阪堺電気軌道が起こりで、南海鉄道(現・南海電気鉄道)と激しい競争を繰り広げ、1915年の合併により、南海鉄道の阪堺線となった。
1980年に、南海電気鉄道が平野線を廃止したのを機に、軌道部門を分離し、阪堺線と上町線が「阪堺電気軌道」として別会社となった。
参道の入り口近くにある住吉大社の鳥居や太鼓橋は、阪堺電車の車内からも見ることができる。
広島電鉄(広電)で行ける神社と言えば、世界遺産の厳島神社が定番。しかし、広電宮島線の終点・宮島口駅から連絡船に乗って対岸の宮島まで渡らなくてはいけない。つまり、厳密に言えば「路面電車で参拝できる神社」ではない。そこでおすすめなのが、厳島神社の外宮である地御前神社だ。
JR広島駅南口(在来線改札方向)前の広電乗り場から宮島口行き電車に乗る。途中、自動車に挟まれるようにして広島市内の繁華街や市街地を通り抜け、広電西広島・己斐駅に到着。ここからは道路上の併用軌道を走行しない鉄道線となるが、軌道線(路面電車)と直通運転をしているので乗り換えの必要はない。広島駅を出て1時間4分で地御前駅に到着する。
広島駅から並行するJR山陽本線を利用し、途中の新井口駅か五日市駅で広電に乗り換えれば46分で到着する。お急ぎの方は、そちらのルートを。ただ、せっかくの初詣、のんびりと広電に揺られながらお正月の沿線風景を楽しみたい。
下車した地御前駅から徒歩10分ほどで地御前神社に着く。現在も宮島は「聖地」だが、かつては島そのものが「神」とされ、一般人の上陸は許されていなかったという。「神」である宮島を崇拝するため、対岸に建立されたのが地御前神社なのだ。
創建は厳島神社と同じ593年。1168年の「伊都岐島社神主佐伯景弘解」によると、境内には19もの殿舎が立ち並ぶ荘厳な神社だったと伝えられている。後に宮島への渡航が一般開放されると参拝客は厳島神社へ向かうことになり、現在は「拝殿」(1914年再建)と「本殿」(1760年再建)、祭神と縁故の深い神を祀った摂末社の「客人本殿」(同)の三つを残すのみの静かな神社となっている。
宮島崇拝の拠点だっただけに、地御前神社と厳島神社、弥山にある奥宮の御山神社は直線で結ばれる位置にある。江戸時代までは神社が海に直接面しており、拝殿のすぐそばまで船で入ることができた。目前の海中には鳥居が建ち、さながら厳島神社のコピーだったようだ。
祭神は厳島神社と同じ市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、田心姫命(たごりひめのみこと)、湍津姫命(たぎつひめのみこと)。いずれも女性の神様だ。主祭神の市杵島姫命は天照大神とスサノオの誓約の際に、アマテラスがスサノオの剣を噛んで吹き出した霧から生まれた三女神の三女。絶世の美女とされ、商売繁盛、芸能、金運、勝負、豊漁、交通安全、五穀豊穣、海の神として信仰されている。
最寄り駅の地御前駅から宮島口行きの広電に乗れば、3駅で宮島ボートレ―ス場駅。開催日であれば地御前神社でご利益の勝負運をつけてレースに興じるのも一興。さらに1駅先は終点の広電宮島口駅。そこから宮島に渡って厳島神社、同神社を見下ろす弥山山頂に平清盛が奥宮として建立した御山神社も参拝すれば、世界遺産の宮島初詣もコンプリート(完全制覇)だ。
厳島神社へは広電宮島口駅からフェリーと徒歩で約20分。御山神社は宮島ロープウェー獅子岩駅から、弥山本堂経由で徒歩約30分。
文:M&A Online