東京オリンピック・パラリンピックの中止を求める声が高まる中、国際オリンピック委員会(IOC)幹部による「開催断行」発言が相次いでいる。東京都や日本政府の意向にかかわらず、「開催ありき」で突っ走るIOC。なぜ、そこまで頑(かたく)ななのか?
2021年5月21日、IOCのジョン・コーツ副会長は「緊急事態宣言が出ていてもオリンピックは開催できる」と断言。同24日にはトーマス・バッハ会長が、ビデオメッセージで「東京大会を実現するために、われわれは犠牲を払わなければならない」と発言した。
「東京五輪開催」の旗を振る丸川珠代五輪相ですら、IOC幹部の発言に「多くの国民が発言を聞いて反発を覚えたのは自然なこと」と苦言を呈さざるを得なかったほどだ。主催都市や政府の面目をつぶしてまでも、東京五輪開催を「既成事実化」したかったIOCの焦りの表れといえるだろう。
報道では「中止によるスポンサー料やテレビ放送権収入の減少を懸念しての発言」との見方がもっぱら。確かにIOCにとって収益減は痛手ではあるが、そう単純な話ではない。もっと長期的なダメージ、端的に言えば「オリンピック存続の危機」を懸念しているのだ。
IOCがここに来て「たとえコロナ禍で緊急事態宣言が出されていても開催可能」とアピールしているのは、「オリンピック開催反対」の世論に押されて、政府や東京都が中止の決断をするのではないかとの懸念が増しているからだ。
3月4日に下村博文自民党政調会長がテレビ番組で「主力国の選手が大量に来られない場合はIOCも(中止を)考えざるを得ないだろう」と発言。4月15日には、またもテレビ番組で二階俊博自民党幹事長が「とても無理だということだったら、スパッとやめなければいけない。感染病を蔓延させたとなると、何のためのオリンピックか分からない」と発言し、政府は「火消し」に躍起となった。
IOCが単なる「失言」と見過ごせないのは、10月に任期満了を迎える衆院選を控えているから。政府与党としては東京五輪を成功させた勢いで選挙戦に臨む予定だったが、感染拡大が収まる気配はない。
5月17日に発表された朝日新聞の世論調査では東京五輪開催の是非について、「中止する」が43%、「再び延期する」が40%に上った。一方、「今年の夏に開催する」は前月の調査の28%から14%へ半減。予定通りの五輪開催は「民意に反する」ことになりかねない。共同通信が同16日に発表した世論調査でも「中止するべきだ」が、59.7%と過半数となった。
政府与党が警戒するのは、東京五輪開催を堅持する菅義偉内閣の支持率が下がっていることだ。万が一にも東京五輪開催中に新型コロナ感染が拡大して第4波同様の医療崩壊が生じた場合、五輪後の衆院選で与党が惨敗する可能性が高まる。
ならば「国民の生命を守る」を大義名分に中止することで、「政府の英断」をアピールする方が選挙戦に有利ではないかとの見方が与党内に広がっているという。下村政調会長や二階幹事長の中止発言は、そのための「観測気球」と見られている。
東京都にしても、事情は同じ。7月4日に都議会議員選挙が控えているからだ。小池百合子都知事を支える都民ファーストの会(都民ファ)の勢力拡大のため、都が電撃的に「五輪中止」を打ち出すとの観測も根強い。
開催都市だけに、都民の間では国内外から多数の選手や関係者、ボランティアが集まることによるコロナ感染リスクの拡大や医療体制の逼迫、都民の行動制限といった懸念がある。衆院選と違って都議選は五輪前に終わるが、都民ファの議席確保のために「知事の英断」が飛び出す可能性も取り沙汰されているのだ。
コロナ禍という非常事態だけに、東京五輪だけなら中止でもよいかもしれない。しかし、来年開催の北京冬季五輪にも「黄信号」が点灯している。選挙中は「中国寄り」と言われていたバイデン米大統領だが、就任後は人権問題でトランプ前政権よりも厳しく中国政府に対峙(たいじ)している。
北京冬季五輪も香港や新疆ウイグル自治区での人権問題をたてに、米国が「外交的ボイコット」で圧力をかけた。現時点では選手団の派遣中止までは踏み込んでいないが、米中関係の悪化が深刻化すれば全面ボイコットにもつながりかねない。IOCが最も懸念するのは米国が自国だけでなく、関係国にもボイコットを強制する可能性だ。
米国は中国が強制労働を課しているとして新疆ウイグル自治区製品の輸入禁止措置を取っており、外国メーカーにも適用。ファーストリテイリング<9983>が生産・販売するユニクロ製品の米国輸入を差し止めた。同様の事態がボイコット問題で起これば、北京冬季五輪は失敗に終わるだろう。
東京、北京と立て続けにオリンピックが「失敗」すれば、IOCの威信は地に落ちる。IOCとしては北京冬季五輪の先行きが怪しくなってきただけに、どのような形であれ東京五輪を開催して「成功」をアピールしなくてはならないのだ。
かつては多数の都市が名乗りをあげて激しい誘致合戦が展開された五輪も、このところは人気薄だ。アテネに決まった2004年の夏季五輪では11都市(第一次選考で脱落した都市を含む)が立候補したが、その後は徐々に減少している。
東京に決まった2020年の夏季五輪では6都市に減り、2028年の夏季五輪では開催地に決まった米ロサンゼルス以外に立候補都市がなく、2032年の夏季五輪も現時点では豪ブリスベン以外に立候補都市はない。
立候補都市が減少している原因は、肥大化する五輪予算だ。これは新しい問題ではない。1970年代から開催予算の高騰で立候補を見送る都市が続出。1984年の夏季五輪ではロサンゼルスしか立候補都市がなかった。
そのためIOCはロサンゼルス五輪から、テレビ放映料の大幅引き上げや競争入札的なスポンサー協賛金制度の導入、記念グッズの販売など民間資金による開催を認める。その結果、税金を使わず黒字を出すことに成功した。
これが「オリンピックは儲かる」との評価につながり、1986年に開催地が決まった1992年バルセロナ五輪では6都市が立候補し、再び誘致合戦が繰り広げられることになる。だが「オリンピックの商業化」で、さらに予算が増大。2008年の北京夏季五輪は400億ドル(約4兆3800億円)、2014年のロシア・ソチ冬季五輪は510億ドル(約5兆5900億円)を投じることになった。
これほどの規模になると民間資金のみによる開催はとても無理で、再び巨額の公的資金を投入するようになった。五輪の経済効果も一部の業界にしか恩恵はなく、国民や開催都市の住民から「五輪に注ぎ込む予算を、生活に関連した事業へ回すべきだ」との声が高まっている。
東京五輪が中止となれば、これまで投入した1兆6440億円は水泡に帰す。うち9000億円は国と都が負担する。ただでさえ巨額の赤字が避けられず、その上、パンデミックなどの非常事態で中止になるリスクが明らかになれば、立候補都市がゼロという最悪の事態もありうる。IOCとしてはオリンピックを「持続可能」とするために、東京五輪を中止させるわけにはいかないのだ。
文:M&A Online編集部