【百五銀行】三重県トップ地銀、投資事業でも攻勢|ご当地銀行のM&A

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三重県を代表するトップ地銀(写真は都内)

三重県人、三重県の金融界はその県名から数字の語呂合わせが好きなのか、また明治期の国立銀行(ナンバーバンク)への思いが強いのか、地元地銀の名称も数字に由来している。2021年5月に三重銀行と第三銀行が合併して発足した三十三銀行も、行名の由来は三重=「さんじゅう」と「第三」が合体したものである。

その三十三銀行の猛追を受けているのが、県内トップバンクとして知られる百五銀行。こちらの行名の由来は、明治期の国立銀行にさかのぼる。

戦前、三重県内の地銀を次々に統合

百五銀行の源流である第百五国立銀行が創立したのは1878(明治11)年。20年後の1897年には国立銀行営業満期前特別処分法により普通銀行に改組し、株式会社百五銀行となる。本店を置いたのは県都・津市。1901年と1924年、1968年に本店を新築移転。2015年には津市内に本館ビル岩田本店と丸之内本部の2つの新社屋を完成した。

1924年に新築移転した本店ビルは、三重県内で初の鉄筋コンクリートの建築物だったという。

同行のM&A史を見ると、普通銀行となって以降、三重県内の地方銀行に対して買収や合併を繰り返してきた。1905年に亀山銀行、1916年に桑名銀行を買収。1920年に尾鷲銀行と紀北商業銀行、八十三銀行を合併した。1921年に伊賀上野銀行、1922年に吉田銀行、1925年に河芸銀行、1929年に一志銀行を買収した。

さらに、第2次大戦時の1943年には国が推進していた1県1行政策のもと、勢南銀行と三重共同貯蓄銀行を合併している。戦後は合従連衡とほとんど縁がなく、2000年に三重県信用組合の事業を譲り受けたのが唯一だ。

2019年に投資子会社を設立

近年、百五銀行が力を入れているのは地元企業への多角的な経営支援。具体的には後継者不在に伴う第三者承継やM&A、業務提携などのマッチング事業を推進し、取引先のすそ野拡大につなげている。

その一例は投資事業。2016年4月に、地域の活性化や事業承継の支援を目的にして、総額2億円の百五地域活性化ファンドを創設している。第1号案件は、日本ベンチャーキャピタルが運営する「名古屋大学・東海地区大学広域ベンチャー1号投資事業有限責任組合」への1億円の出資だった。

さらに、2019年12月には百五みらい投資(津市)という100%出資の投資専門子会社を発足し、ファンドを活用した事業承継・経営支援などに取り組んでいる。銀行系投資ファンドとしての第1号案件は、首都圏でヘアサロン(美容室)を営むHM company(東京都)とRelato(同)の買収だった。

新生「三十三銀行」が猛追

百五銀行に猛追をかけるのが三十三フィナンシャルグループ傘下で県内2位だった第三銀行と3位の三重銀行が今年5月に合併して誕生した三十三銀行だ。両行のプロフィールは次のとおり。

百五銀行 三十三銀行
資本金 200億円 374億円
店舗数 143店舗 171店舗
総資産 7兆4262億円 4兆3232億円
預金残高 5兆3879億円 3兆7804億円
貸出金残高 3兆9883億円 2兆7794億円
従業員 2380人 2573名
※2021年3月末 ※2021年9月末

総資産額や預金残高、貸出金残高を見ると、百五銀行が三十三銀行をはるかに凌駕する。県内店舗網でも県庁所在地である津市のある中勢エリアでは、百五銀行が35店舗を数え、三十三銀行の27店舗を上回っている。

ところが、県内工業・産業の集積地であり、三十三銀行が本店を置く四日市市のある北勢エリアでは三十三銀行の店舗数が65店舗で、百五銀行が41店舗。圧倒的に三十三銀行が優っている(店舗数はいずれも2021年3月末時点)。

三重県を大別すると、古くから松阪商人、伊勢商人を輩出した津、松阪などの中勢エリアと近代工業の発展を支えてきた四日市を中心とする北勢エリアに分けることができる。百五と三十三のライバル対決は、三重を南北に二分する構図でもある。

文:M&A Online編集部