「さようなら!私たちは御社を忘れない」惜しい廃業3選

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 3月は別れのシーズン。誰もが転勤や異動、卒業などの「お別れ」を迎える。そして数多くの企業も毎年のように消えていく。民間調査会社の東京商工リサーチによると2017年に2万8142件が廃業している。倒産が年間1万社を下回る中で、倒産件数の3倍以上の企業が廃業を選択した。そこで顧客や社会に惜しまれつつも廃業した数多くの企業の中から、話題になった3社を紹介する。

岡野工業 「痛くない注射針」で一世風靡するも後継者難には勝てず

 穴の直径が90ミクロン、外径が200ミクロン-蚊の針と同サイズの驚異的な細さを実現した「痛くない注射針」を開発し、一躍「中小企業の星」となった岡野工業(東京都墨田区)。中小企業庁の「元気なモノ作り中小企業300社」にも選ばれた。岡野工業の強みは「発想の転換」と「抜群の加工精度」。世界を驚かせた痛くない注射針は、岡野雅行社長が従来のように注射針となる金属管を細くするのではなく、ステンレスの板金を巻いて加工するという発想の転換で実現した。

 さらに1枚のアルミニウム板を限界までプレスし、徐々に薄く深いケースに仕上げていく「精密深絞り技術」を駆使し、厚さ0.8ミリメートル以下、加工精度10マイクロメートル(100分の1ミリメートル)という抜群の加工精度で電池ケースを作ることにも成功。その結果、リチウムイオン電池とアルミニウムを一体成形した電池ケースが生産できるようになり、ハイブリッド車(HV)用電池の小型・軽量化に貢献した。

 その岡野工業も、岡野社長が85歳になる2018年に廃業する。理由は後継者の不在だ。岡野社長には娘さんが2人いるが、どちらも家業を引き継ぐ意思はなかった。岡野社長は「跡取りがいないのは悔しい」と本音を漏らす。かつては赤字続きの中小企業が「倒産して取引先や従業員に迷惑をかけるぐらいなら…」と、廃業を選択するケースが多かった。しかし、最近は経営が順調にもかかわらず、後継者がいないために廃業する事業承継問題での廃業が増えている。中小企業庁の調査によると、2016年度に黒字状態で廃業した中小企業の割合は50.5%と過半数を占めた。

 中小企業では同族経営が多く、少子化で後継者候補が減っているという事情がある。それに加えて黒字を計上し続けている企業経営者は裕福で教育費がふんだんに使えるため、子供たちが有名大学に進学する高学歴化が顕著になっている。卒業後の進路も安定した大手企業や公務員への就職が人気で、家業がよほどの老舗か上場を狙える規模でない限り、簡単には戻って来ない。

 とりわけ自分が先頭に立って現場で汗水流さなくてはならない町工場となれば、親子での事業継承は絶望的といえる。東京大学卒で「研究開発型」町工場として赤字脱却を実現した由紀精密(神奈川県茅ヶ崎市)の大坪正人社長や、大手資産運用会社を退職してリーマンショックで経営が傾いた家業を引き継ぎ「待ち工場から考えて動く町工場へ」をスローガンに積極的な情報発信と話題づくりで経営再建に成功した海内工業(横浜市緑区)の海内美和社長などはレアケースだ。

 一方、20年前は事業承継をする後継者といえば8割が身内だったのが、現在は6割まで下がっている。もはや「家業は家族が継ぐ」時代ではなくなりつつあるのだ。岡野工業も身内以外で後継者を探すことはできなかったのか。あるいは同業他社に事業を譲渡できなかったのか。事業の譲渡先や提携先を紹介するM&A仲介企業や金融機関も多数存在する。相談はできたはずだ。

 中小企業とはいえ国内で知らない人がいないほどの有名企業で年間売上高も8億円を計上する岡野工業だけに、M&Aという選択肢を選んでいれば独自技術を継承することも十分可能だったはず。「やりたいこと全部やったし、未練はない」と言い切る岡野社長だが、世界で唯一の技術が岡野工業と共に消えるのは、なんとも惜しい。

300社サイト
中小企業庁の「元気なモノ作り中小企業300社」にも選ばれた岡野工業(中小企業庁ホームページより)

梅の花本舗 懐かしのロングセラー「梅ジャム」と共に去りぬ

 関東で育った人なら誰でも一度は口にしたことがある駄菓子の「梅ジャム」。2017年12月で製造元の梅の花本舗(東京都荒川区)が廃業。駄菓子屋などでの店頭在庫がなくなり次第、永遠に姿を消す。現在、ネット通販では定価10円の40個入りケースが8,000円前後の高値で取り引きされている。

 14歳で終戦を迎えた梅の花本舗の高林博文社長が疎開先の富山から東京に戻り、父親の友人から入手したリンゴの粉を紙で包み、麦わらのストローを付けた駄菓子を考案した。当時流行していた紙芝居師に売り込んだところ、子供たちに飛ぶように売れた。これに喜んだ紙芝居師から「ほかにも何か駄菓子を作ってくれないか」と頼まれる。当時の紙芝居師は主にソースを塗ったミルクせんべいを売って紙芝居を見せていた。高林社長はソースの代わりとなる新しい商品を思いつく。

 材料は乾物屋が安く販売していた傷物の梅干しの果肉。とはいえ、酸っぱい梅肉をそのままジャムにしても子供に売れるはずはない。そこで梅肉を煮詰め、甘味料を加えて味を調整した。そして1947年に誕生したのが「梅ジャム」だ。終戦直後の日本では働き先が少なく、資金がなくても手軽に始められる紙芝居師が急増した。昭和20年代には紙芝居師が関東地区だけで約1万2000人、全国では約5万人いたという。紙芝居師の売り上げを支える梅ジャムは飛ぶように売れ、当時はまだ珍しかったトラック輸送で対応しなければならないほどだった。

 その後、朝鮮戦争に伴う特需で製造業が復興すると工場などでの求人が増え、紙芝居師の多くはサラリーマンに転職して紙芝居向けの需要は激減する。代わって梅ジャムは駄菓子屋や縁日の屋台などで販売されるようになり、70年を超えるベストセラー商品に育つ。だが、時の流れは残酷だ。創業時から高林社長1人で製造に当たっていたため後継者がおらず、87歳ともなると毎日の作業が負担になっていく。少子化による駄菓子屋の廃業などで売り上げも減少しており、70周年を迎えた2017年末を区切りに廃業した。

 高林社長はマスメディアで梅ジャムの製造法について言及したり自社工場で製造実演したりしており、「梅ジャムの製法は秘中の秘」というのは一種の「都市伝説」だ。ただ、類似商品が梅の香料を混ぜているものが多いのに対して、梅ジャムは本物の梅肉を原料として使っているため、味の調整は高林社長のスキルに依存している。

 廃業報道で梅ジャムが話題になっている今は、再出発の好機といえる。商標や商品デザインなどの譲渡を受ければ、新「梅の花本舗」としての事業再生も可能だ。高林社長の指導があれば、全く同じ味とはいえないまでも、従来品に近い商品はできるかもしれない。「昭和レトロブーム」もあり、終戦直後の高林社長のような意欲ある若い起業家が1人いれば梅ジャムの供給を再開できるだろう。志ある起業家が高林社長を説得し、なんとか事業譲渡にこぎつけてもらいたいものだ。

梅ジャム
「梅ジャム」の賞味期限は1年間。在庫販売も2018年一杯で終わる。(Photo By yotate)

幸福書房 林真理子も愛した「人力リコメンデーション」

 東京メトロ・小田急の代々木上原駅前にある名物書店・幸福書房(東京都渋谷区)が2018年2月20日に閉店した。1980年に岩楯幸雄店長が脱サラして開業、家族で切り盛りしてきた店舗面積わずか20坪(66平方メートル)ほどの小さな書店だ。

 中小書店の品ぞろえは雑誌や出版取次会社が自動配本で送ってくる売れ筋の文庫、コミック、単行本がほとんど。狭い売り場で収益をあげるために、取扱商品を「売れ筋」に絞るのは当然の選択だ。しかし、書店でしか本を買えなかった時代は終わった。売れ筋商品は最寄りのコンビニエンスストアでも買えるし、アマゾンなどの書籍通販が普及して書店でマイナーな本を手配してもらう必要もなくなった。1999年には2万2000店以上あった書店も相次いで閉店し、2017年には1万2000 店と、ほぼ半減している。書店が1軒もない自治体は420市町村に上るという。

 ところが幸福書房は品ぞろえが違っていた。売れ筋に偏る出版取次会社の自動配本に依存せず、岩楯店長が顧客におすすめしたい本を独自に仕入れて店頭に並べていたのだ。駅前の小書店が扱わない人文書や専門書といった「お堅い」書籍の品ぞろえが充実し、作家の林真理子氏や近隣の読書家たちから高い支持を受けていた。普通、こうした書店独自の品ぞろえは店主の好みが反映されるケースが多く、ニッチな顧客層に偏りがちだ。

 幸福書房は顧客との会話を通じて、興味を持ってもらえそうな本を仕入れてきた。つまり自分の趣味を押し出して同じ趣味の顧客を誘導する「ニッチ型」ではなく、常連客の読書傾向に合わせた「顧客密着型」の販売戦略を取っていたわけだ。閉店を惜しむ顧客からは「なぜか幸福書房に来れば、思いもかけない良い本と出合えた」という声が聞かれる。いわばアマゾンなどが販売やサイト閲覧の履歴からおすすめの本を表示するリコメンデーション(推薦)サービスの人力版だ。

 幸福書房は通常の小書店では7割に達する雑誌の売上比率を5割程度に抑えていたが、ここ10年ほどで雑誌販売が激減したため収益は悪化傾向だったという。収益の基礎を支えていた雑誌の不振を「人力リコメンデーション」の単行本販売ではカバーできなくなり、店舗の賃貸契約更新を機に閉店を決めた。

 ただ、幸福書房のような人力リコメンデーション機能を売りにする書店は全国に存在し、書籍ネット通販や電子出版全盛にもかかわらず人気を集めている。英ガーディアン紙が「世界の素晴らしい書店ベスト10」に選んだ恵文社一乗寺店(京都市上京区)の元店長だった堀部篤史氏が開業した誠光社(同)や往来堂書店(東京都文京区)など、いずれも売り場面積が20坪弱の狭い書店ながら、幸福書房と同じ独自仕入れで話題になり、顧客も多い。「街の小さな書店が生き残るモデルケース」ともいわれている。

 幸福書房の「取次の自動配本に頼らない独自仕入れ」というビジネスモデルが破綻したわけではない。雑誌の売り上げに代わる収益源を見つけるか、家賃負担が小さい郊外や地方であれば同様の経営は十分に成り立つ。現在、岩楯店長は収益の基盤を雑誌から喫茶に置き換えたブックカフェの開業を検討しているという。今回取り上げた3社のなかでは唯一、同じ経営者による事業復活の可能性がありそうだ。「幸福ブックカフェ」の開店に期待したい。

幸福書房
独自の品ぞろえで人気はあったが、収益源だった雑誌の不振で閉店に追い込まれた幸福書房(Photo By Googleストリートビュー)

文:M&A Online編集部